『2011春 東北ツーリング』  ~~ エピローグ ~~

Show the flag.

かつてこの一言に、多くの日本人が心のどこかで焦りと無力感を感じた事がある。

「こんな発言はそもそも無かった」とか「訳し方が間違っている」という遅れての報道は、かつて「金は出すが人は出さない日本」と呼ばれた頃の記憶を思い出してしまった当時の我々にはもはや響いてこなかった。対テロ戦争という名の「戦争」に対して、日本は「人的支援」をそもそもすべきなのかどうか、思い悩んだ2001年の冬。

阪神淡路大震災では、海外から応援に駆けつけた「救助犬」に対し、検疫に3週間掛かると通告したというニュースに誰もが唖然とした。ただ、これを機に「ボランティア」という言葉の意味を我々は知った1995年。

湾岸戦争では、バブル絶頂期にあった我々日本は「平和憲法」の精神に沿う形で「巨額の拠出金」を多国籍軍へ行ったにも関わらず、クウェートの感謝決議に読み上げられる事は無かった。ほんの数隻の船を出しただけのモロッコは感謝決議に含まれていた1991年。

我々は完成した安全な社会を生きている存在などでは未だ無く、未完の不安定な世界の中を生きている存在だ。今、皆さんの立っている足元の大地、たかが100年前にはアスファルトなんぞ存在せず、たかが1000年前には大地であったかどうかすら疑わしい。

「旗」…と言われれば別な何かがある気もするが、「フラッグ」と言われたらバイク乗りとして思い浮かべるのはやっぱり「ホクレン・フラッグ」。

あの大きな北海道を5つ位のエリアに分け、給油した各地のホクレンでもらった旗をリア・バッグに差して走りまくるのが夏の北海道でのバイク乗りの楽しみの一つ。結果、ホクレン・フラッグ欲しさに北海道を走りまくる結果になるんだが、ガソリンの無駄使いと言われれば確かにそうかもね(笑)

今回の東北ツーリング、男鹿半島で気が付いたってのは正直ちと遅すぎたんだが…無事に?全部集められたので披露しましょう!

Show the flag!

 

2011東北ツーリング最終日(後半) ~鶴ヶ城→大内宿→塔のへつり→日立~

「鶴ヶ城」を見物した後は、 県道131号を南下して大内宿へ。しっかしまぁ今回のツーリング、震災がもちろん影響しているんだろうが、初日の喜多方市内と昨日の白石のスーパー付近以外では渋滞らしい渋滞は無しとすこぶる順調。
もちろんこの大内宿への程良い山道もガラガラでして、気分良~く走っていくと…大内宿へ到着です。道は空いている割に大内宿の駐車場は結構埋まってますな。ちなみにバイクは歩道に駐めてくれと言われますので、歩道の隅っこに停めましょう。

大内宿はかつての宿場町の町並みを復元した場所でして、小さな水路のある道の両側に茅葺き屋根の古民家が並びます。

とにかくノスタルジックな雰囲気溢れる場所でして、ただ水路でラムネを冷やしているだけなのに何故か絵になる不思議な場所です。夏場だと、この水で冷やしたキュウリが何と言ってもオススメ。ただのキュウリなんだけど抜群に旨いです。

    

今回は手始め?に玉コンニャクと、普通のお米をお餅のように棒につけて(きりたんぽと似てます)会津地方特産の「じゅうねん味噌」を塗って香ばしく焼き上げた「しんごろう」というお餅もどきを、お茶と一緒に頂きました。じゅうねん味噌っていうのは「エゴマ」を混ぜあわせた味噌でして結構甘みが強く、どことなくお菓子を食べているような気分になりましたな。

お土産物屋を見物したりしながら、お次は大内宿名物の「ネギそば」を頂きます。確か有名な店があったような気がするんだが、名前をさっぱり覚えていないので細かい事は気にせずに「よろずや」へ。

    

御覧の通り、ネギを箸代わりにして蕎麦を食べるのが売りなんですが、すがきやの「ラーメンスプーン」を越えた無理さがありますね(笑)箸と言うよりは薬味としてボリボリかじりながら食べました。蕎麦自体十分美味しいので、旅先の話のネタとして皆様も是非一度お試しあれ。

大内宿の一番奥には全体を見渡せるちょうどいい高台がありますので、腹ごなしがてら登りまして…天気の良さに感謝しながら一枚パチリ。

    

最後は大人気だった山形屋で手焼き煎餅を。ハート型のおしゃれな形をしてますが、一人で食べるにはちとでかすぎるので、二人で食べた方が良さそうだ。あ…だからハート型なのかな?いきなり半分に割ってしまうのはどうかと思うけど(笑)

大内宿の後は、今回の東北ツーリング最後の立ち寄り処となった「塔のへつり」へ。大内宿からさらに南下すること15キロ程と言ったところでしょうか。

見学用の道がかなり広範囲に伸びているんですが、立ち入り禁止で吊り橋の周辺しか見学できないのがちと残念なところ。とは言え、色んな場所に色んな奇岩がありまして、対岸のお店の展望台からでも良く見えますので、近くに来た時には是非一度お立ち寄りを。

この後は日立に向けてひたすら突っ走ります。ガラガラの国道289号、国道118号を駆け抜けて…日立の我が家へたどり着いたのは19時過ぎ。

え~っと、出発する時は176242キロなので…2912キロってなところですか。ほとんど高速使わなかったからこんなもんかな。ま、青森の山奥で動かなくなったりしなくて良かったよ。お疲れさん、ボロバイクちゃん。

2011東北ツーリング最終日(前半) ~七ヶ宿→磐梯有料道路3本セット→鶴ヶ城~

「道の駅 七ヶ宿」で迎えた今回の東北ツーリング最後の朝。いやぁ…今日も天気いいんではないですかっ?!

毎度の事ながら目覚めのコーヒーなんぞを飲んだ後にテントをバラしていたら、駐車場にやって来た車から荒井由実(ユーミン)の「朝陽の中で微笑んで」が漏れ聞こえてきた。もうすぐサビという所でエンジンと共に音も止まってしまってちょっぴり残念に思っていたら、その車から降りてきた方に声を掛けられた。

「今日はこれからどちらまで?」「福島を廻って水戸に帰る予定です。」「そうですか。私は福島の中通りなんですが…こんな事になってしまって…。じゃぁ、お気を付けて!」「はい、有難うございます。お気を付けて!」

車のエンジンと一緒にサビの部分から再開しまして…やがて行ってしまいました。ま、いい歌知ってるんだから大丈夫ですよきっと。ただまぁ出来たら、「おじさん」では無く女性の方と「宇宙の片隅で」出会いたかったりはしたけれどもね(笑)

さて、最終日の今日をどう過ごすかだが…天気がいいので、まずは「磐梯吾妻スカイライン・磐梯吾妻レークライン・磐梯山ゴールドライン」を走っちゃうのが気分的に最高だろう。普段は北上する形でこの3本の有料道路を抜けて行くんだが、今回は相当久しぶりに南下する形でこの3本を駆け抜ける事になりそうだ。

まずは国道113号で白石まで出た後は、国道4号で福島市街へ。ここで探し物の最後の一つを無事見つけまして、福島駅前からは「磐梯吾妻スカイライン」目掛けてまっしぐら。もう少し遅い時間だったら「ずんだシェイク」が飲みたかったんだが…ま、また今度という事で。

少し走って市街地を抜けると、この後はひたすらバイクツーリングにピッタリな空間が広がります。こちらは磐梯吾妻スカイラインの「天狗の庭」。少々曇り気味ですが気分は晴れてます(笑)

普段なら最後にやってくる感覚のある浄土平レストハウスで朝飯がてら休憩を。

     

左から「玉こんにゃく」に「きのこ汁」に「よもぎだんご」。個人的な好みとしては、この焼いた「よもぎだんご」が大好きで、来る度に食べてる気がします。本当はもっと焦げてる位が丁度いいんだよね。あ…いつもは夕方に来るから焦げてんのかな?(笑)

朝飯?を食べ終えた後は、磐梯吾妻スカイラインの続きを存分に楽しみまして、お次は「磐梯吾妻レークライン」へ。

この道はとにかく「のんびり景色を眺めながら」走るのがお薦めです。レークラインと言う名前の割に、あんまり湖畔を走らない道なのはご愛敬。

小野川湖・桧原湖を駆け抜けた後(実はこのエリアこそが、一般的な観光スポットです。お洒落なお店も沢山ありますので、皆様是非お越しを!)、バイク乗り的には程良いクネクネ具合の「磐梯山ゴールドライン」へGo!。

一応記念写真を撮ったのはいいとして、磐梯山がほとんど入っていないのは「走る事に夢中」だったからですかねぇ?…(笑)

こんな感じに磐梯山周辺を楽しんで…辿り着いた先は会津若松。去年のクリスマスの「郡山駅~会津若松駅 代替輸送バスの旅」以来、もの凄く親近感を感じている場所です(笑)

会津若松市内の「鶴ヶ城」をまだ見学した事が無かったので、見学して行きますか。

いやぁ…これは端整なお城ですね。威圧感では無く優しさを感じるお城です。のんびりと鶴ヶ城公園を歩いていると…個人的にやたらと気になる碑を発見。

見ての通り「荒城の月碑」な訳だが、大分県竹田市で生まれた俺としては、竹田の岡城址をモチーフに瀧廉太郎が「荒城の月」を作曲したという事がちょっとした心の中での自慢だったんだが、作詞という意味ではここ「鶴ヶ城」と「青葉城(仙台城)」が題材だったのか。

青葉城は行っても大丈夫なんであれば、近いうちに行ってみようかな。。。

    

この後は「広岡きんつば」なる大判焼きを頂いたりしつつ更に南下。福島の原風景、「大内宿」へ向かいます。