2011夏 東北の旅 『鳥海ブルーライン・道の駅 とざわ・蔵王エコーライン・道の駅 喜多方』編

6時30分頃目覚め、「マース北上」の朝食バイキングをたいらげた後7時15分頃に出発。夏休みも残すところ今日と明日だけなので、涼しげな所を選んで走りたい。そんな訳で天気もいいので、ちと遠いが鳥海山目がけて出発進行!

道程的には非常に単純で、北上から国道107号でひたすら西に向かって走ると日本海に出ます。日本海に出たら国道7号で南下すると鳥海ブルーラインがありますんで左折です。130キロ程の長さですが、もしかすると左折を2回だけしかしないのかも(笑)

朝の国道107号が物凄く快適でして、何と9時過ぎには日本海と御対面。由利本荘市のセルフのスタンドでガソリン入れたら、サービス期間という事で「ガリガリ君 梨」を貰った。おっ!これが噂の梨味ですか。もちろんその場ですぐに頂きます。

旨~~~いっ!(喜)

「ガリガリ君 梨」来年は是非とも潤沢に生産して欲しいなぁ。

「道の駅 にしめ」の隣の畑にはひまわりが沢山咲いていた。いかにも夏って感じだね。

   

道すがら見つけた「白瀬南極探検隊記念館」を見学したりなんかもした。皇帝ペンギンってかなりでかいのね。それから南極の氷に直に触ることが出来ます。冷凍ケースはどう考えても一般的なアイス用だったりするけれど(笑)

この後はいよいよ鳥海ブルーラインなんですが、あまりの気分の良さに気がついたら全部走り終えていました…そんな訳で…写真0枚(汗)

鳥海ブルーラインの南側の終端に、十六羅漢岩という名所らしき場所があったので行ってみた。規模こそ小さいが日本版「ラシュモア山(アメリカの大統領の彫刻が彫られている山)」ってな感じかな。それにしても暑い…
この後は、少しずつ茨城寄りに移動しておこうと考えて国道345号→国道47号→国道13号を通って強引に蔵王エコーラインへ向かったんだが、このコース取りははっきり言って避暑的には大失敗だった。山形県の内陸部って冗談抜きにクソ暑いんだよ…(涙)

    

途中「道の駅 とざわ」ではお昼ご飯に「焼き肉ビビンバ」を頂きました。戸沢村には韓国人の方が多く住んでいらっしゃるそうでして、道の駅の建物が韓国の宮廷風と他ではなかなか目にしない道の駅です。そう言えば昔2年間ほど一緒に仕事をした韓国人の張さんは今でも元気にしてるのかな。

蔵王エコーラインを上って標高を稼ぐまではヒーヒー言ってましたが、蔵王の上まで来てしまえば爽やかです。そうそう、この涼しさを待ってたのよ。

蔵王エコーラインを堪能した後は、遠刈田温泉の神の湯でひとっ風呂浴びていきました。いやぁ、汗かいた後の温泉はたまらんなぁ(喜)

風呂からあがって、そろそろ今日の宿泊先を決める訳だが、さすがに近くにある健康ランド「カッパ王国」で夏休み最後の夜を過ごすのはもったいないので、結構遠いが喜多方の道の駅に行くことにした。何でまた喜多方なのかと言いますと、朝ラーメンが食べたいだけでなく「磐梯吾妻スカイライン・磐梯山ゴールドライン・磐梯吾妻レークライン」の豪華有料道路三本セット、何と今年は冬期閉鎖まで福島観光テコ入れの為無料だったりするんだよね。この機会に三本の有料道路を「往復」してみたいなぁなんて思っているのだ(笑)普段じゃ絶対やんねぇよ。6000円近く掛かるから…(汗)こんなセコイ理由で白石ICから東北道で喜多方を目指すんだが、お盆休みのUターンラッシュがすでに始まっているようで、断続的に30キロ程渋滞していた。なんか久々に高速道路ですり抜けしまくった気がするなぁ。郡山JCTで磐越道に乗ってからはさすがに空いてまして、会津若松のスーパーで買い物したり何かして、20時半頃に「道の駅 喜多方」に到着。

キャンピングカーを中心に結構な人数がお泊まりモードでくつろいでいます。良さそうな場所は既にあらかた押さえられている状態なので、駐車場の隅っこにテントを立てて夏休み最後の宴会を開始。

   

   

遅い時間だったからこそ手に入った和牛焼き肉用(半額)を筆頭に、栃尾油揚げやら、カット済みスイカ等でこの夏休み最後の宴会開始。

それでは福島に…そして東北に乾杯!

今日のGPSログ。さすがにちと走りすぎだぁね(笑)

 

2011夏 東北の旅 『黒崎灯台・鵜の巣断崖・潮吹穴・浄土ヶ浜島めぐり・大津波記念碑』編

朝5時30分過ぎに起床。コーヒーなどを飲みつつ、のんびり過ごしまして…撤収作業を終えて朝7時ちょい前に出発。

今日の目的地はあんまりはっきりとは決まっていないんだが…岩手県宮古市にある、本州最東端に位置する「トドヶ埼灯台」に行ってみようかなぁと思ってる。遊歩道を1時間ほど歩かないと辿り着けないらしく、そこまでして灯台を見に行った事は今まで無いので、多分未踏の地。灯台に関してはとにかく行きまくっている為、どこに行ってどこに行っていないのかが個人的に何が何やら分からなくなっているってのが正直な所(汗)

アップダウンの激しい国道45号をひたすら南下。昨日買い物をした時にも感じたが、久慈市の市街地(郊外型の店舗が多い場所)は特に津波の被害を受けてはいないようで何よりだ。石油備蓄基地のタンクが流されたり、押し寄せる津波の映像を何度も見ていたから心配だったよ。

ただ、三陸鉄道と国道45号が並行して走る海に面したエリアの被害は大きい。今回津波という形で押し寄せた、自然の力の大きさをまざまざと見せつける光景が広がっている。

途中、黒崎灯台に立ち寄った。ちょっとした公園の敷地の一部のような場所にあります。標高130メートルの断崖の突端に立つ灯台なので、灯台本体は結構小さめで可愛らしい程。東京の小金井からいらしたチャリダー(輪行で八戸から走って来たそうだ)のおじさんと、今回の震災やらなんやかんやで少々お話をしたりしつつ、さらに南下。

看板に誘われてやってきた「鵜の巣断崖」。駐車場から展望台まで300メートルほどあるんだが、整備された遊歩道がウッドチップで出来ていて、歩くとフカフカしていて気持ちが良い。木陰なので風も気持ちいいしね。

天気が良すぎてやたらと暑いので「道の駅 たろう」でちと休憩。「果肉入りいちごソフトクリーム」が旨い。バニラの部分が黄色っぽくて結構独特。道の駅の駐車場は関東ナンバーの車だらけだ。みんな帰省なのかな?

この道の駅を出た後は、道の駅の名前にもなっている「田老地区」へと入っていく。見上げるような立派な堤防の内側には、無惨な光景が広がっている。

下から見上げると十分に高く見える堤防の高さはしかし、国道沿いに掲げられた「最大津波到達予想地点」には遙かに及ばない。この高さまで堤防を築くのは現実的な選択では無いであろう事も理解は出来る。かといってここより上に住むという事にするのであれば…それはもはや今までの集落とは似ても似つかぬものになるのだろう。難しいな…本当に。

住宅の基礎部分だけが残る一帯に、寂しく佇むバス停があった。バス停の足下には、誰かが置いたプランターの花壇。土気色の単調な空間に突如現れた小さな色彩に目を奪われる。実は写真を撮ろうかと思って一度停まったんだが…やめた。

潮吹穴という看板が気になりやって来た。ちょっとした断崖の階段を下りていくと展望台があり、上から潮吹穴を見ることが出来る…のだが、海が穏やかなため全く潮を吹かないので、結局どれが潮吹穴なのか分からずじまいに終わった(汗)この潮吹穴、吹かないことの方が多いため、地元では「ホラ吹き穴」とも呼ばれているらしい(笑)

宮古市の市街地に入る直前、市街地の北側に位置する浄土ヶ浜へやってきた。駐車場にバイクを駐めてヘルメットを脱いでとやっていると、何やら「浄土ヶ浜島めぐり」なる遊覧船の運行案内をしているではないか。12時ちょうどに出港らしいので乗り込んだ。

(注)通常の桟橋が破損していて使えないため遊歩道を歩いて浄土ヶ浜まで降り、裏側の桟橋からの出港になってました。

観光遊覧船という事で、景色の解説をして下さるガイドさんも乗船してます。

ガイドさんの解説と共に出港しますが、しばらくの間は「ウミネコのエサ」をウミネコにあげるのにみんな精一杯ってな感じだなぁ(笑)それにしても風光明媚な場所ですな。

この観光船「潮吹穴」のすぐそばにも行きますので、運が良ければそのダイナミックな光景が見られるかもです。ガイドさんが言うには、「台風の翌日に来るといいですよ!」との事でした。そりゃまぁ豪快な潮吹きは見られるでしょうが、観光船が滅茶滅茶揺れそうだぁね…(汗)

皆さんウミネコにエサをあげ終えて、ちょっと落ち着いてきたた遊覧船。帰り道ではガイドさんから震災の当日のお話がありました。今我々の乗っているこの遊覧船、地震を感じた船長さん達がすぐに沖合に避難したから無事だったそうです。また、壊れてしまっている堤防の話や、陸のどこまで津波が押し寄せたかなど。それから地図を指さしながら「トドヶ埼」の近くにある姉吉地区で最大の津波が観測されたこと、そしてその地区の石碑に刻まれた先代からの教えを守ってきた事で、今回の津波による住居の被害が無かった事の紹介など。

「トドヶ埼」かぁ。時間的に今日行くのは無理そうな気がしてきたなぁ(汗)

そうそう、7月16日から「浄土ヶ浜島めぐり」は元気に運行再開していることを宣伝して下さいとの事だったので微力ながら御紹介を。ってかこの記事自体がすでに紹介か(笑)ウミネコと巡る40分間の遊覧船のHPはこちら「浄土ヶ浜島めぐり」です。

船を降りた後は浄土ヶ浜を堪能しましてバイクに戻ったんですが…

暑い…暑すぎる…トドヶ埼は明日にしよう…(逃)

あまりの暑さに完全にやる気を失いまして、取りあえず昼飯を食べようと宮古駅前にやってきた。「魚鮮亭 すみよし」というお店が目にとまったので入店。

   

マグロの中落ち丼は売り切れだったので、焼き魚定食(鯖塩)を注文。何となく焼き魚を食べるのは久々な気がするな。鯖も旨かったが、磯のりのたっぷり入った味噌汁も旨かった。やっぱりこういう定食が一番落ち着くやぁね。ご馳走様でした!

十分涼んだところで出発なんですが…明日トドヶ埼に行くとなると今日の行動範囲が狭くなるなぁ…それに明日も何だか暑そうだぜ?往復3時間歩くんだったら…涼しい季節の方がいいんじゃないのか?

よ~っしゃ決めたっ!トドヶ埼は秋にしよう!(更に逃)

宮古市内の海沿いは、相当数の信号機が点灯していない。信号制御用の箱が見あたらないので、一旦取り外して修理しているのだろうか。それとも流されてしまったのか。市内を抜けた後、灯台まで歩くのは秋にするにしてもスタート地点の下見くらいはしておこうと県道41号でトドヶ埼方面へ向かう。

高台から急激に下る道を進むと入り江のような空間が。一体この空間にはかつて何があったのかが全く想像できない程の荒廃した空間が広がっていて、堤防の一部と思われる巨大なコンクリート製の構造物がおかしな角度でひとつ転がっている。道路が寸断されてしまっているが、よく見ると応急処置的に砂利を敷いて道が作ってあり、小さな岸壁の様な場所にバイクを停めた。波のない穏やかな小さな湾の中では、地元の子供達がカヌーで遊んでいる。

ふと見ると、真新しい小さな看板に「トドヶ埼灯台」の文字が。看板の指す先を見ると…確かに階段らしきものが山の斜面を登っている。新しい看板があるという事は…灯台まで行けるという事なんだろう。そう言えばトドヶ埼灯台へはキャンプ場から歩いて行くんだったよなぁ。影も形も無くなっているが…

…そう言えば、遊覧船のガイドさんが言っていた姉吉地区ってのは…もしかしてさっき通ってきた集落の事なのか。

トドヶ埼灯台へ向け再びやって来ることを心に誓って急な坂道を登っていくと、津波の被害が周囲から消えた頃合いで「大津波記念碑」が道の脇にひっそりと建っていた。

これは…

実は先日読んだ「失敗学のすすめ」で、教訓が風化し伝わらなくなる例として、他の地域の「大津波記念碑」とその下に建てられた民家の写真があった。この姉吉地区はそうではなく、この碑の教えを守ったという事か。

高き住居は児孫に和楽

想え惨禍の大津波

此処より下に家を建てるな

この碑の教えを守ってきた姉吉地区の住民は、この碑によって守られた。

この後も海岸沿いを南下を続け、山田町を通って大槌町のローソンでちと休憩。近場に営業しているスーパー等が無いためか、お客さんの人数がとても多い。そして店の外のベンチでゼリーを食べていて気がついたんだが、ニュースで聞いたとおり確かにハエが多い。困った問題だ。ローソンを出発して釜石市内へ。釜石は大きな街並み故、昔ながらの商店街があったりするんだが…やはりこちらも海沿いは被害が大きい。それから宮古市内同様、消えたまんまの信号機が沢山ある。

そろそろ今夜の寝床をどうするか考えなければならないんだが…そうだなぁ…国道283号を西に走って、GWに泊まった「道の駅 とうわ」に泊まっちまうかぁ?風呂付きだしね。

相変わらずの適当さで国道45号に別れを告げ、国道283号を走っていたら何と銭湯を発見!街道沿いにあるなんて、珍しい立地の銭湯だ。

ひとっ風呂頂いて店の前で涼んでいたところ、銭湯の店主っぽい方から声を掛けられた。この方何気に物知りでして茨城県日立市からやって来た事を伝えると「昭和40年代に地方交付税の不交付団体だったのはここ釜石市と日立市だけだったんだよ」とか、「そこに線路があるだろ。この路線は日本で2番目に開業した鉄道で、弁慶号っていう汽車が走ってたんだよ。」等々。そう言えば、弁慶号ってこの前鉄道博物館で見たよ。なるほど、ここを走ってたのか。

こんな感じに楽しいひとときを過ごした後は、ひたすら西に向かって突っ走る。走りながらふと思った。もしかして「マース北上」ってこの先にあるんじゃないのか?だったらそっちにするかな。今日は生ビールが飲みたいし。

今夜は健康ランド「マース北上」に泊まる事にしてひたすら走り…着きました。深夜料金込み&夜食と朝食がついて2600円とかなり良心的な値段設定。

   

夜食はおやつ程度のものだったが、朝飯バイキングはお好み次第でいくらでも量を増やせます(笑)

それでは今日のGPSログを。

2011夏 東北の旅 『かっぱの湯・恐山・尻屋崎・八戸・北侍浜野営場』編

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朝5時頃に目が覚めた。今日も天気が良さそうだなこりゃ。お湯を沸かしてコーヒー飲んで、テントを畳んで…歯を磨いて顔を洗ってと色々やって、朝6時過ぎに出発進行! 冒頭の写真は風間浦町から見えた津軽海峡の朝の景色。美しい。

津軽海峡を左手に、海沿いを走る国道279号(通称「はまなすライン」)を気分良く進んでいき、途中大畑町で薬研温泉方面へ。西の方から恐山に行こうとすると、どうしてもこの道になるよね。一本道だから。

まっすぐ恐山に行ってしまうのは勿体ないので、無料の温泉へ久々に寄っていくことに。

朝7時過ぎに現地に着いたんだが、誰もいない雰囲気。看板を見てみると、知らない間に混浴ではなく時間帯によって男湯・女湯と分ける方式に変わったらしい。男女の時間帯の情報はこちらのページをどうぞ。「薬研温泉 かっぱの湯
これってでも、家族連れやカップルには厳しい変更だよなぁ。ま、有料の温泉に入れば良いだけといえばそうなんだけれども… 「かっぱの湯」誰もいなかったので、風呂場も撮りました。あれれ?こんな雰囲気だったっけか?何か変わったような気もするが…昔を思い出せないなぁ…(汗)

写真の後は実際に朝風呂へ。ま、湯船に浸かっただけではありますが、朝風呂は気分がいいもんです。 P1120677身を清めた後は結構なクネクネ道をグリグリ登って恐山へ。写真は初めて恐山へ来た時には帰りがけに気がついた「三途の川」に掛かる橋。当時、反対側から橋を渡った挙げ句「ショボイ橋だなぁ…」なんて思ったりもしたが、幸い今日までこちら側の世にいたりしている(汗)この橋を渡ったのは家族旅行も含めると6回位かな。そうなんだよね。俺って同じ場所に何度でも行ける体質らしく、時折周囲にビックリされることがある。何でそんなに同じ所に行って飽きないの?ってな具合に。俺にしてみりゃ、同じデパートに何度も行くのだって大して変わんねぇんじゃねぇのか?と思ったりもするんだが…まぁいいか。

霊場として有名な恐山だが、いつでもイタコの口寄せをやっているわけではなく7月と10月の祭典の時だけなのでご注意を。 恐山 菩提寺この恐山にある「恐山菩提寺」を取り巻く環境は、宗教的なものを大して信じない俺みたいな人間に対してすら地獄と極楽浄土の存在を意識させるような世界が現実に広がっている事がある意味恐ろしい。

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P1120807最後の方に極楽浄土的な美しい砂浜を伴った湖があるんだもんなぁ。凄いところだよまったく。そう言えば今回もかっぱの湯に入ったばかりだったので入りはしなかったんだが、恐山の中にある温泉(小屋が建ってます)は、普通に入っていいそうなので興味のある方は入ってみてください。男湯・女湯・混浴で、計4ヶ所あるそうです。温泉がある事は昔から知っていたが、何か特別な施設だと思っていたよ(汗)

【青森県むつ市】 恐山 「霊場アイス(ヨモギ)」【青森県むつ市】 恐山 店構え

恐山参拝?の〆はこちら「霊場アイス(ヨモギ)」です。「良薬は口に苦し」なんてキャッチコピーが添えられてましたが、普通にさっぱりしつつも甘いアイスでした(笑)

恐山を後にして山道を下った後は、県道6号線で尻屋崎へ。この道も尻屋崎の近くでは海沿いを走るので、爽快感たっぷりですな。

寒立馬

ゲートを抜けて尻屋崎へ入り(尻屋崎全体が大きな放牧地なので、馬が逃げないようにゲートがあります)尻屋崎灯台の近くにいましたいました、寒立馬(かんだちめ)!

理由は良く分かりませんが、今日は密集隊形で草をむしゃむしゃとはんでいました。

 

基本的に温和しい馬なのですが、ある一線を越えて接近するとどこからともなく馬が駆け寄ってきて、体当たりしようとするので注意が必要です。馬の行動を良く見ていると、どうやら人間の子供に対しては警戒してないみたいだったなぁ。子供にカメラを持たせて写真撮ると傑作が出来るかも。ま、カメラを持った子供に対しては警戒心を持つのかもしれないので、いきなり接近戦はヤバイかもしれないが(汗)

寒立馬を観察しまくった後は国道338号を南下。

   

朝っぱらから直接的に1円も使っていなかったので…何と「ウニ丼の大盛り」を食べましたっ!

生きてて良かった…(マジ)

六ヶ所村を走りながらちと考える。俺の住んでいる茨城県の日立市のお隣、東海村には日本の原子力発電所の商用炉第1号機(廃炉「準備」中)があったり、隣の大洗には高速増殖炉の実験炉「常陽」(もんじゅは実証炉)があったりと、原子力関連施設が多い。
そしてここ六ヶ所村には、核燃料サイクルの中核を担う六ヶ所再処理工場が存在する。この再処理工場で使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して、高速増殖炉用の燃料として再利用したり、MOX燃料としてプルサーマル発電に利用する事になっている。

ただまぁ…先がどうなるか分からないのは皆さん御存知の通り。原子力発電所の発電が止まれば、こんな施設ももういらないと言い出す人がいるのかもしれない。まぁ悪気があってそういう事を言っているんでは無いとは思うが、残念ながらそんなに単純な話では終われないのが現実の厳しさ。我々は明日以降の「ツケ」を増やすことは止められるかもしれないが…今までのツケを都合良く同時に消し去ることなんて出来はしない。

既に使ってしまった使用済み核燃料は大量に存在し、イギリス・フランスで再処理して送り返してもらったプルトニウムも国内に存在している。2010年時点での国内在庫としてのプルトニウムは約10トン。海外(英仏)保管分が約38トン。なんと日本は合計で48トンものプルトニウム保有国となっている。日本は核兵器を持っていると疑われない事自体がおかしな話だ。言い訳としてずっと、「燃料として使います…」と言い訳を続けてきたのが我らが日本。

これどうするよ?燃料として使わないのであれば、核兵器として利用しないことを何らかの形で国際社会に証明して見せなければならない。材料という意味では、我が国日本は長崎に落とされた原爆4800発相当のプルトニウムを国家として持っているわけだ。いらなくなったなら他国に輸出しろ!とか言い出さないでくれよな。日本がプルトニウムを輸出するなんて…悪夢以外の何者でもないだろ。

ま、難しい話はともかくとして、我々は原子力の力を既に甘受してしまっており、そのツケが十分すぎるほど貯まっている事実は良く理解した上で物事を考えないと駄目なんじゃないのか?放射性廃棄物の最終処分場が決まっていない現在、中間貯蔵という名の最終処分場になる事を恐れた六ヶ所村で受け入れ反対とかが決まったら、もうどうにもならなくなるだろうよ。

早い話、今までみんなで使っちまったのは確かなんだから…放射性廃棄物も含めて人頭割で「各県」で保管しろ!ってな辺りしか落とし所がなくなるんじゃないのか?福島の原発事故で、その電力を使わない人々が住む福島という土地に原子力発電所があるという矛盾に気がついたのであれば、それこそ関係の無い日本中からの核廃棄物を受け入れる義理が、今後六ヶ所村にあり続けるとでも思うのか?

今まで沢山「金」を貰ってきたから受け入れろってか?それは「今まで」の話だろ?お前らもつい最近までは、原子力由来の電力を存分に使ってきたんだろうよ?一体どこが違うって言うんだ?

これからは「脱核燃料サイクルだ!」と、六ヶ所村の方々が言っちゃいけない理由なんて無い。

脳内「青年の主張」を繰り広げつつ走り続けいていたら…去年三沢基地航空祭見物にやってきた三沢市であまりの暑さにふらふらになり、日陰のベンチでちと休憩。

実は…色々な意味で「オーバーヒート」寸前です…(汗)

 

一本100円の「ゆできみ」を無人野菜販売所で見つけ、食べたりしながらさらに南下。ちょっと考え過ぎな自分を戒めながらも、岩手県久慈市のキャンプ場「北侍浜野営場」に何とか辿り着いた。

北侍浜野営場の環境は相当に「良い」です。上の写真みたいな環境を、他で味わった事はありません。とにかく快適です(喜)

今晩のグルメ?を御紹介。

   

   

今日のGPSログはこちら。それにしても寒立馬、可愛らしかったなぁ。