週末はウィークエンドパスで仙台へ ~仙台空港へ…そして帰宅…編~

「郡山駅前 灯籠」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)松島→塩釜の観光船を楽しんだ後は…仙台空港へ行ってみる事にした。

一年前の地震が起きた時刻自体にそんなに意味があるとは思ってはいないんだが…今回仙台へやって来た理由であったりするのも正直な所。

去年の地震が起きたその瞬間、俺は日立市内の職場にいて凄まじい揺れに見舞われた。上空をゆっくりと旋回する自衛隊の哨戒機の姿を見上げながら、起きている事の重大さをまだ完全には理解していなかった。

そして職場で全員帰宅の判断が下された後、歩いて10分程のアパートへ戻ってみると…隣に住んでいる大家さんがアパートの前に立っていて、車のラジオで聞いたニュースを教えてくれた。そして今まさに起きている「事の重大さ」を俺はようやく理解した。

「仙台空港が…津波に飲まれた…」

バイクで色々と走り回るのが趣味だったりするので、近くを何度も走った事のある仙台空港のおおよその場所は知っていた。海側に位置しているとはいえ、海沿いにある空港では無い。仙台空港が…津波に…

この後は茨城県南部に位置する鹿嶋市へ母の様子を訪ねにバイクで向かった。幸いな事に停電も断水もしていない母の家には近所の一人暮らしの方もいらしていて、3人で見ているTVの画面には津波に襲われる仙台空港の光景が繰り返し繰り返し…

「仙台空港屋上展望デッキからの仙台空港駅方面」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)…そして月日は流れ、今日という日がやってきた。仙台東部道路のさらに東側に位置する仙台空港。仙台空港アクセス鉄道、空港施設、そして周辺のレンタカー屋さんは不断の努力により元通りの機能を取り戻しているものの…さらにその周辺はおよそ仙台近郊とは思えない光景が広がっていた。写真は仙台空港屋上展望台から臨む仙台空港アクセス鉄道方面。

重くたれ込めた雲の向こうに、うっすらと水平線が見えている。

「仙台空港 木製コクピット」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)

気を取り直して仙台空港内部へ。空港ロビーでは木製のコクピットに未来の機長さんの姿を見た。その昔、キムタク主演のドラマの最終回だけは見たことあるぜ。「You have.」…「I have.」 そう…俺達を君の翼で未来へ連れて行ってくれ!

尚、各種計器類の画面は…「はめ込み合成」です (Powered by JAL)

「仙台空港 ミニコンサート」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)仙台空港1Fロビーで開かれていたミニコンサートを聴いたりなんかして、仙台空港を後にしました。

「半旗を掲げた仙台空港」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)仙台空港正面玄関には、半旗が掲げられていた。

この後は仙台空港アクセス線・東北本線・水郡線経由で帰途についた。

黙祷してくれと総理大臣が言っていた時間数分前に東北本線への乗換駅、名取駅から東北本線の車両に乗り込んだ。心なしか…皆遠くを見つめている気がする。

その後、ボックスシートの向かい側の席に座っている若者が携帯電話で友達と話しているようでして、これから遊ぶ約束をしているんだか何だかでやたらガヤガヤとやかましい。でもいいんだよ…俺は知ってるからさ…

ついさっきまで…海を見つめて涙を流していた君の横顔を

犠牲となった皆様方、どうか安らかにお眠り下さい。

週末はウィークエンドパスで仙台へ ~松島観光船編~

「松島→塩竃観光船 エサをねだるカモメ」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)

昨日の夜は結構飲んだ割に、爽やかな朝を迎えられた。梅鉢さんでパンとコーヒーを頂いて今日の予定を考えるんだが…幸い雨も止んだようなので、電車に乗って松島へ向かう事に。

実は仙石線と東北本線、そして松島の位置関係を今イチ把握しておらず…梅鉢さん最寄り駅の苦竹駅で仙石線の電車に乗り込んでから乗り継ぎがあんまり良く無さそうな事に気が付いた。

「松島駅」そんな訳で、仙石線の下馬から東北本線の塩釜駅まで散歩してみたりなんかしまして…松島駅にやって来た。松島に来た事は何度もあるが、電車で来たのは今回が初めてなのかも。

松島海岸駅に行くつもりが何故か松島駅に来てしまっている事はここだけの秘密である…(笑)

バイクで走った見覚えのある国道45号線の歩道をテクテク歩きまして松島湾へ。昔「もしもツアーズ」で見た「戦国パフェ」ってのが食べたいんだよね。とってもデカイパフェなんだなこれが。

松島湾の風光明媚な風景を眺めながら、100kbpsの超低速回線&パチ物スマートフォンで場所を調べてみると…伊達政宗歴史館の目の前にある訳ですか…なるほどなるほど。。。えっ…ええっ!?

ガーン …思いっ切り目の前を通り過ぎてるじゃん…(涙)

歩いて戻ろうかとも思ったが…何やら観光船乗り場周辺が出港の時間が近づいているようで賑やかだ。う~ん…松島の観光船か…そう言えばまだ乗った事無かったよなぁ…

決めたっ!「戦国パフェ」は次回にしよう!

そんな訳で観光船の乗船券売り場へ。何やら松島湾をグルッと廻って再び松島へ戻ってくるコースと塩釜へ行く二通りのコースがある模様。電車利用者は塩釜行きがお勧めというアナウンスに乗っかりまして、塩釜行きのチケットを購入。

「松島←→塩竃観光船 第二芭蕉丸」今回乗り込んだのはこちら「第二芭蕉丸」。松尾芭蕉と言えばやっぱこれだよね。

「松島や ああ松島や 松島や」

冒頭の写真は観光船お馴染みの一コマ。観光船を…と言うか「かっぱえびせん」を追いかけてカモメがやって来ます(笑)

「松島→塩竃観光船 ちゃっかり止まってエサを待つカモメ」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)段々横着になってきて、観光船の手すりにちゃっかり止まって「かっぱえびせん」をねだるカモメ達(笑)

「松島→塩竃観光船 島々の風景」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)松島で一番肝心な「島々」の写真、まともなのが無いのでこれで御勘弁を…(汗)ここは写真よりも自分の目で見るべき場所ですので是非一度お越し下さいませませ。

「マリンゲート塩釜」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)50分程のクルージングを経て、塩釜港へ到着。漁港と輸出入港を兼ね備えた塩釜港は結構でかいんだなぁ。それではお昼も近いので、何か食べていきますかね。

【宮城県塩竃市】 魚長亭 「海鮮丼」【宮城県塩竃市】 魚長亭 店構え

観光船の発着場所兼お土産物コーナーの「マリンゲート塩釜」をぐるっと廻って魚長亭というお店へ。まぁ太平洋沿岸地域に住んでいる俺としては「ある意味ライバル同士」の土地柄だったりもするので、手放しで褒める訳にはいかないんだが…

うっ…旨いっ!しかも量が多いよっ!(喜)

これは…観光船に乗って塩釜入りして昼飯はありですな。ドンブリに載っているネタの数々は、本マグロ・サーモン・イクラ・ホタテ・〆鯖・ホッキ貝・イカに甘エビにカニの爪&玉子焼きと盛りだくさん。潮の香りの漂う海藻たっぷりの味噌汁に付け合わせのゴボウのきんぴらと文句なし。

いやぁ旨かった…これは再訪決定だな。

この後は津波の被害から見事に立ち直ったジャスコ改め「イオン」の脇を歩いて本塩釜駅へ。途中の復興市場では、大きな「あんこう」もいたよ。それにしてもデカイなお前。

「あんこう等々」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)

週末はウィークエンドパスで仙台へ ~金子みすゞ展編~

「仙台三越 金子みすゞ展」

仙台のアーケード街の端っこまで歩いて、模型屋のショーウインドウに飾られている超リアルな新幹線の模型を眺めたりして振り返ったら三越の仙台店があった。まぁ俺には関係ない店だなぁ…と思ったら、何となく見覚えのある顔写真のポスターが掲示されていたので近くに行ってみると…

何と「金子みすゞ展」なるものを開催中ではあ~りませんかっ!(喜)

ACジャパン(かつての名前「公共広告機構」と言った方が意味が分かりやすいかも)の「こだまでしょうか」のCMで一躍有名になった方ですな。

この方の童話作家としての存在は正直あんまり良く知らないんだが、詩人としての存在は遙か昔の学生時代の頃からよく知っていたりする。

 

~1990年代初頭に「タイムスリップ」~

工学部電子工学科の貧乏学生だった俺。週3日、厚木の飲み屋でのバイトをしないと月一万三千円の家賃のボロ四畳半アパートを維持できない程だった(笑)。とは言うものの、当時も今と同じく「赤い服を着ると通常の3倍の性能を発揮する」などというありがちな理由で、いつもバイク用の赤いジャケットを着ていたなぁ。

しかも「HONDA」のワッペンを自分でくっつけるという「若気の至り」っぷり…(爆)

俺自身、そして実験の授業で同じグループになった連中も何故か日々真面目に勉強するタイプでは無く、授業の無い昼間は海へ泳ぎに行ったり、近所のとあるコーナー(急カーブ)で「バリバリマシン」へ投稿する写真を互いに撮ったりしていたのであった…(笑)

そんな気心の知れた連中が事ある毎に言っていたのがこの一言。

はぁ…?お前が「オーケストラ」だぁ?顔に全然似合ってないぞっ!実はボクシング部とかなんだろ?アゴ狙われたら終わりっぽいけど。ははははは…(こいつらマジで信じてない…)

…その後こいつら、俺の学生最後の演奏会には花束持参で聴きに来てくれた。

第四楽章しか出番の無い俺の姿を演奏会の後で大いに笑ってくれたけどね(笑)

こんな連中だったりした訳だが、時にハッとさせられるような一言を浴びせてくれたりもしたもんだ。「五右衛門(当時の俺のあだ名)ってさぁ…」

「文系の奴に分厚い理系の衣を付けたような奴だよな。」

 

居酒屋でのバイトの無い日はひたすら大学オケでトロンボーンの練習。こう書くともしかしたら「ハイソ(死語)」な雰囲気を感じるかもしれないが…実態は麻雀やらパチンコやらギャンブル好きな金管連中と一緒に、練習後は麻雀に明け暮れていたってのが実態。俺の住んでいたボロアパート、四畳半・風呂&トイレ共同という理由の不人気さ故に住人が少なかったので…夜な夜なジャラジャラと麻雀やっていても…

文句を言ってくる近隣住民自体が存在せず…(爆)

ま、麻雀やってる夜中に流れるBGMはブラームスであったりチャイコフスキーであったりバッハであったりするんだけれどもね(笑)そんな「リーチ麻雀T村(四畳半店)」、初めて会場にやって来た奴らは片隅に積み上げられている「とある雑誌」を目にすると…腹を抱えて笑うのであった。「はぁ?!お前…こんなの読んでるの…どれどれ…ぶははははは…おいっ!お前っ…顔に全然合ってないぞっ!」

文系的な俺の一面を一番理解している筈の奴らが腹を抱えて笑った雑誌…それが…

「詩とメルヘン」 (お前ら笑うなっ!)

~2012年に「タイムスリップ」~

そんな訳で、金子みすゞの事は遙か昔の学生時代から知っていたし、その当時から詩集を読んだりもしていたんだよ。

「大盛況の金子みすゞ展」会場は個人的な予想に反して大盛況。金子みすゞのプロフィール付近は眼鏡を掛けた高齢の方々がパネルに張り付いて一字一句を読んでいる事もあり大渋滞。でも…何だか嬉しかったな。

この催し物のサブタイトルは「みんなちがって、みんないい。」

…この何気ない価値観を、笑いと共に受け止めてくれたかつての連中に今一度感謝している。

お前ら…元気か?