松島→塩釜の観光船を楽しんだ後は…仙台空港へ行ってみる事にした。
一年前の地震が起きた時刻自体にそんなに意味があるとは思ってはいないんだが…今回仙台へやって来た理由であったりするのも正直な所。
去年の地震が起きたその瞬間、俺は日立市内の職場にいて凄まじい揺れに見舞われた。上空をゆっくりと旋回する自衛隊の哨戒機の姿を見上げながら、起きている事の重大さをまだ完全には理解していなかった。
そして職場で全員帰宅の判断が下された後、歩いて10分程のアパートへ戻ってみると…隣に住んでいる大家さんがアパートの前に立っていて、車のラジオで聞いたニュースを教えてくれた。そして今まさに起きている「事の重大さ」を俺はようやく理解した。
「仙台空港が…津波に飲まれた…」
バイクで色々と走り回るのが趣味だったりするので、近くを何度も走った事のある仙台空港のおおよその場所は知っていた。海側に位置しているとはいえ、海沿いにある空港では無い。仙台空港が…津波に…
この後は茨城県南部に位置する鹿嶋市へ母の様子を訪ねにバイクで向かった。幸いな事に停電も断水もしていない母の家には近所の一人暮らしの方もいらしていて、3人で見ているTVの画面には津波に襲われる仙台空港の光景が繰り返し繰り返し…
…そして月日は流れ、今日という日がやってきた。仙台東部道路のさらに東側に位置する仙台空港。仙台空港アクセス鉄道、空港施設、そして周辺のレンタカー屋さんは不断の努力により元通りの機能を取り戻しているものの…さらにその周辺はおよそ仙台近郊とは思えない光景が広がっていた。写真は仙台空港屋上展望台から臨む仙台空港アクセス鉄道方面。
重くたれ込めた雲の向こうに、うっすらと水平線が見えている。
気を取り直して仙台空港内部へ。空港ロビーでは木製のコクピットに未来の機長さんの姿を見た。その昔、キムタク主演のドラマの最終回だけは見たことあるぜ。「You have.」…「I have.」 そう…俺達を君の翼で未来へ連れて行ってくれ!
尚、各種計器類の画面は…「はめ込み合成」です (Powered by JAL)
仙台空港1Fロビーで開かれていたミニコンサートを聴いたりなんかして、仙台空港を後にしました。
この後は仙台空港アクセス線・東北本線・水郡線経由で帰途についた。
黙祷してくれと総理大臣が言っていた時間数分前に東北本線への乗換駅、名取駅から東北本線の車両に乗り込んだ。心なしか…皆遠くを見つめている気がする。
その後、ボックスシートの向かい側の席に座っている若者が携帯電話で友達と話しているようでして、これから遊ぶ約束をしているんだか何だかでやたらガヤガヤとやかましい。でもいいんだよ…俺は知ってるからさ…
ついさっきまで…海を見つめて涙を流していた君の横顔を
犠牲となった皆様方、どうか安らかにお眠り下さい。
以前、何度か松島の方に行った事があったのですが、4月の終わりに奥松島の方を訪れた時は、あまりの様相に言葉を失いました。
その後、ほんの数回だけ、お手伝いに行ってきましたが、泥に覆われた畑の瓦礫撤去の時に、いつかこの畑で、また小松菜を栽培したいと笑いながら話していたおっちゃんの笑顔に励まされて帰ってきました。
亡くなった人は確かに残念ですが、残った人はこれからも頑張っていって欲しいですね。
奥松島は太平洋沿岸という事もあって被害が大きかったですよね。多くの地域がまだまだ復興には程遠い状況ですが、引き続き私でも出来る事をやっていこうと思った週末でした。