2011夏 東北の旅 『黒崎灯台・鵜の巣断崖・潮吹穴・浄土ヶ浜島めぐり・大津波記念碑』編

朝5時30分過ぎに起床。コーヒーなどを飲みつつ、のんびり過ごしまして…撤収作業を終えて朝7時ちょい前に出発。

今日の目的地はあんまりはっきりとは決まっていないんだが…岩手県宮古市にある、本州最東端に位置する「トドヶ埼灯台」に行ってみようかなぁと思ってる。遊歩道を1時間ほど歩かないと辿り着けないらしく、そこまでして灯台を見に行った事は今まで無いので、多分未踏の地。灯台に関してはとにかく行きまくっている為、どこに行ってどこに行っていないのかが個人的に何が何やら分からなくなっているってのが正直な所(汗)

アップダウンの激しい国道45号をひたすら南下。昨日買い物をした時にも感じたが、久慈市の市街地(郊外型の店舗が多い場所)は特に津波の被害を受けてはいないようで何よりだ。石油備蓄基地のタンクが流されたり、押し寄せる津波の映像を何度も見ていたから心配だったよ。

ただ、三陸鉄道と国道45号が並行して走る海に面したエリアの被害は大きい。今回津波という形で押し寄せた、自然の力の大きさをまざまざと見せつける光景が広がっている。

途中、黒崎灯台に立ち寄った。ちょっとした公園の敷地の一部のような場所にあります。標高130メートルの断崖の突端に立つ灯台なので、灯台本体は結構小さめで可愛らしい程。東京の小金井からいらしたチャリダー(輪行で八戸から走って来たそうだ)のおじさんと、今回の震災やらなんやかんやで少々お話をしたりしつつ、さらに南下。

看板に誘われてやってきた「鵜の巣断崖」。駐車場から展望台まで300メートルほどあるんだが、整備された遊歩道がウッドチップで出来ていて、歩くとフカフカしていて気持ちが良い。木陰なので風も気持ちいいしね。

天気が良すぎてやたらと暑いので「道の駅 たろう」でちと休憩。「果肉入りいちごソフトクリーム」が旨い。バニラの部分が黄色っぽくて結構独特。道の駅の駐車場は関東ナンバーの車だらけだ。みんな帰省なのかな?

この道の駅を出た後は、道の駅の名前にもなっている「田老地区」へと入っていく。見上げるような立派な堤防の内側には、無惨な光景が広がっている。

下から見上げると十分に高く見える堤防の高さはしかし、国道沿いに掲げられた「最大津波到達予想地点」には遙かに及ばない。この高さまで堤防を築くのは現実的な選択では無いであろう事も理解は出来る。かといってここより上に住むという事にするのであれば…それはもはや今までの集落とは似ても似つかぬものになるのだろう。難しいな…本当に。

住宅の基礎部分だけが残る一帯に、寂しく佇むバス停があった。バス停の足下には、誰かが置いたプランターの花壇。土気色の単調な空間に突如現れた小さな色彩に目を奪われる。実は写真を撮ろうかと思って一度停まったんだが…やめた。

潮吹穴という看板が気になりやって来た。ちょっとした断崖の階段を下りていくと展望台があり、上から潮吹穴を見ることが出来る…のだが、海が穏やかなため全く潮を吹かないので、結局どれが潮吹穴なのか分からずじまいに終わった(汗)この潮吹穴、吹かないことの方が多いため、地元では「ホラ吹き穴」とも呼ばれているらしい(笑)

宮古市の市街地に入る直前、市街地の北側に位置する浄土ヶ浜へやってきた。駐車場にバイクを駐めてヘルメットを脱いでとやっていると、何やら「浄土ヶ浜島めぐり」なる遊覧船の運行案内をしているではないか。12時ちょうどに出港らしいので乗り込んだ。

(注)通常の桟橋が破損していて使えないため遊歩道を歩いて浄土ヶ浜まで降り、裏側の桟橋からの出港になってました。

観光遊覧船という事で、景色の解説をして下さるガイドさんも乗船してます。

ガイドさんの解説と共に出港しますが、しばらくの間は「ウミネコのエサ」をウミネコにあげるのにみんな精一杯ってな感じだなぁ(笑)それにしても風光明媚な場所ですな。

この観光船「潮吹穴」のすぐそばにも行きますので、運が良ければそのダイナミックな光景が見られるかもです。ガイドさんが言うには、「台風の翌日に来るといいですよ!」との事でした。そりゃまぁ豪快な潮吹きは見られるでしょうが、観光船が滅茶滅茶揺れそうだぁね…(汗)

皆さんウミネコにエサをあげ終えて、ちょっと落ち着いてきたた遊覧船。帰り道ではガイドさんから震災の当日のお話がありました。今我々の乗っているこの遊覧船、地震を感じた船長さん達がすぐに沖合に避難したから無事だったそうです。また、壊れてしまっている堤防の話や、陸のどこまで津波が押し寄せたかなど。それから地図を指さしながら「トドヶ埼」の近くにある姉吉地区で最大の津波が観測されたこと、そしてその地区の石碑に刻まれた先代からの教えを守ってきた事で、今回の津波による住居の被害が無かった事の紹介など。

「トドヶ埼」かぁ。時間的に今日行くのは無理そうな気がしてきたなぁ(汗)

そうそう、7月16日から「浄土ヶ浜島めぐり」は元気に運行再開していることを宣伝して下さいとの事だったので微力ながら御紹介を。ってかこの記事自体がすでに紹介か(笑)ウミネコと巡る40分間の遊覧船のHPはこちら「浄土ヶ浜島めぐり」です。

船を降りた後は浄土ヶ浜を堪能しましてバイクに戻ったんですが…

暑い…暑すぎる…トドヶ埼は明日にしよう…(逃)

あまりの暑さに完全にやる気を失いまして、取りあえず昼飯を食べようと宮古駅前にやってきた。「魚鮮亭 すみよし」というお店が目にとまったので入店。

   

マグロの中落ち丼は売り切れだったので、焼き魚定食(鯖塩)を注文。何となく焼き魚を食べるのは久々な気がするな。鯖も旨かったが、磯のりのたっぷり入った味噌汁も旨かった。やっぱりこういう定食が一番落ち着くやぁね。ご馳走様でした!

十分涼んだところで出発なんですが…明日トドヶ埼に行くとなると今日の行動範囲が狭くなるなぁ…それに明日も何だか暑そうだぜ?往復3時間歩くんだったら…涼しい季節の方がいいんじゃないのか?

よ~っしゃ決めたっ!トドヶ埼は秋にしよう!(更に逃)

宮古市内の海沿いは、相当数の信号機が点灯していない。信号制御用の箱が見あたらないので、一旦取り外して修理しているのだろうか。それとも流されてしまったのか。市内を抜けた後、灯台まで歩くのは秋にするにしてもスタート地点の下見くらいはしておこうと県道41号でトドヶ埼方面へ向かう。

高台から急激に下る道を進むと入り江のような空間が。一体この空間にはかつて何があったのかが全く想像できない程の荒廃した空間が広がっていて、堤防の一部と思われる巨大なコンクリート製の構造物がおかしな角度でひとつ転がっている。道路が寸断されてしまっているが、よく見ると応急処置的に砂利を敷いて道が作ってあり、小さな岸壁の様な場所にバイクを停めた。波のない穏やかな小さな湾の中では、地元の子供達がカヌーで遊んでいる。

ふと見ると、真新しい小さな看板に「トドヶ埼灯台」の文字が。看板の指す先を見ると…確かに階段らしきものが山の斜面を登っている。新しい看板があるという事は…灯台まで行けるという事なんだろう。そう言えばトドヶ埼灯台へはキャンプ場から歩いて行くんだったよなぁ。影も形も無くなっているが…

…そう言えば、遊覧船のガイドさんが言っていた姉吉地区ってのは…もしかしてさっき通ってきた集落の事なのか。

トドヶ埼灯台へ向け再びやって来ることを心に誓って急な坂道を登っていくと、津波の被害が周囲から消えた頃合いで「大津波記念碑」が道の脇にひっそりと建っていた。

これは…

実は先日読んだ「失敗学のすすめ」で、教訓が風化し伝わらなくなる例として、他の地域の「大津波記念碑」とその下に建てられた民家の写真があった。この姉吉地区はそうではなく、この碑の教えを守ったという事か。

高き住居は児孫に和楽

想え惨禍の大津波

此処より下に家を建てるな

この碑の教えを守ってきた姉吉地区の住民は、この碑によって守られた。

この後も海岸沿いを南下を続け、山田町を通って大槌町のローソンでちと休憩。近場に営業しているスーパー等が無いためか、お客さんの人数がとても多い。そして店の外のベンチでゼリーを食べていて気がついたんだが、ニュースで聞いたとおり確かにハエが多い。困った問題だ。ローソンを出発して釜石市内へ。釜石は大きな街並み故、昔ながらの商店街があったりするんだが…やはりこちらも海沿いは被害が大きい。それから宮古市内同様、消えたまんまの信号機が沢山ある。

そろそろ今夜の寝床をどうするか考えなければならないんだが…そうだなぁ…国道283号を西に走って、GWに泊まった「道の駅 とうわ」に泊まっちまうかぁ?風呂付きだしね。

相変わらずの適当さで国道45号に別れを告げ、国道283号を走っていたら何と銭湯を発見!街道沿いにあるなんて、珍しい立地の銭湯だ。

ひとっ風呂頂いて店の前で涼んでいたところ、銭湯の店主っぽい方から声を掛けられた。この方何気に物知りでして茨城県日立市からやって来た事を伝えると「昭和40年代に地方交付税の不交付団体だったのはここ釜石市と日立市だけだったんだよ」とか、「そこに線路があるだろ。この路線は日本で2番目に開業した鉄道で、弁慶号っていう汽車が走ってたんだよ。」等々。そう言えば、弁慶号ってこの前鉄道博物館で見たよ。なるほど、ここを走ってたのか。

こんな感じに楽しいひとときを過ごした後は、ひたすら西に向かって突っ走る。走りながらふと思った。もしかして「マース北上」ってこの先にあるんじゃないのか?だったらそっちにするかな。今日は生ビールが飲みたいし。

今夜は健康ランド「マース北上」に泊まる事にしてひたすら走り…着きました。深夜料金込み&夜食と朝食がついて2600円とかなり良心的な値段設定。

   

夜食はおやつ程度のものだったが、朝飯バイキングはお好み次第でいくらでも量を増やせます(笑)

それでは今日のGPSログを。

2011夏 東北の旅 『かっぱの湯・恐山・尻屋崎・八戸・北侍浜野営場』編

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朝5時頃に目が覚めた。今日も天気が良さそうだなこりゃ。お湯を沸かしてコーヒー飲んで、テントを畳んで…歯を磨いて顔を洗ってと色々やって、朝6時過ぎに出発進行! 冒頭の写真は風間浦町から見えた津軽海峡の朝の景色。美しい。

津軽海峡を左手に、海沿いを走る国道279号(通称「はまなすライン」)を気分良く進んでいき、途中大畑町で薬研温泉方面へ。西の方から恐山に行こうとすると、どうしてもこの道になるよね。一本道だから。

まっすぐ恐山に行ってしまうのは勿体ないので、無料の温泉へ久々に寄っていくことに。

朝7時過ぎに現地に着いたんだが、誰もいない雰囲気。看板を見てみると、知らない間に混浴ではなく時間帯によって男湯・女湯と分ける方式に変わったらしい。男女の時間帯の情報はこちらのページをどうぞ。「薬研温泉 かっぱの湯
これってでも、家族連れやカップルには厳しい変更だよなぁ。ま、有料の温泉に入れば良いだけといえばそうなんだけれども… 「かっぱの湯」誰もいなかったので、風呂場も撮りました。あれれ?こんな雰囲気だったっけか?何か変わったような気もするが…昔を思い出せないなぁ…(汗)

写真の後は実際に朝風呂へ。ま、湯船に浸かっただけではありますが、朝風呂は気分がいいもんです。 P1120677身を清めた後は結構なクネクネ道をグリグリ登って恐山へ。写真は初めて恐山へ来た時には帰りがけに気がついた「三途の川」に掛かる橋。当時、反対側から橋を渡った挙げ句「ショボイ橋だなぁ…」なんて思ったりもしたが、幸い今日までこちら側の世にいたりしている(汗)この橋を渡ったのは家族旅行も含めると6回位かな。そうなんだよね。俺って同じ場所に何度でも行ける体質らしく、時折周囲にビックリされることがある。何でそんなに同じ所に行って飽きないの?ってな具合に。俺にしてみりゃ、同じデパートに何度も行くのだって大して変わんねぇんじゃねぇのか?と思ったりもするんだが…まぁいいか。

霊場として有名な恐山だが、いつでもイタコの口寄せをやっているわけではなく7月と10月の祭典の時だけなのでご注意を。 恐山 菩提寺この恐山にある「恐山菩提寺」を取り巻く環境は、宗教的なものを大して信じない俺みたいな人間に対してすら地獄と極楽浄土の存在を意識させるような世界が現実に広がっている事がある意味恐ろしい。

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P1120807最後の方に極楽浄土的な美しい砂浜を伴った湖があるんだもんなぁ。凄いところだよまったく。そう言えば今回もかっぱの湯に入ったばかりだったので入りはしなかったんだが、恐山の中にある温泉(小屋が建ってます)は、普通に入っていいそうなので興味のある方は入ってみてください。男湯・女湯・混浴で、計4ヶ所あるそうです。温泉がある事は昔から知っていたが、何か特別な施設だと思っていたよ(汗)

【青森県むつ市】 恐山 「霊場アイス(ヨモギ)」【青森県むつ市】 恐山 店構え

恐山参拝?の〆はこちら「霊場アイス(ヨモギ)」です。「良薬は口に苦し」なんてキャッチコピーが添えられてましたが、普通にさっぱりしつつも甘いアイスでした(笑)

恐山を後にして山道を下った後は、県道6号線で尻屋崎へ。この道も尻屋崎の近くでは海沿いを走るので、爽快感たっぷりですな。

寒立馬

ゲートを抜けて尻屋崎へ入り(尻屋崎全体が大きな放牧地なので、馬が逃げないようにゲートがあります)尻屋崎灯台の近くにいましたいました、寒立馬(かんだちめ)!

理由は良く分かりませんが、今日は密集隊形で草をむしゃむしゃとはんでいました。

 

基本的に温和しい馬なのですが、ある一線を越えて接近するとどこからともなく馬が駆け寄ってきて、体当たりしようとするので注意が必要です。馬の行動を良く見ていると、どうやら人間の子供に対しては警戒してないみたいだったなぁ。子供にカメラを持たせて写真撮ると傑作が出来るかも。ま、カメラを持った子供に対しては警戒心を持つのかもしれないので、いきなり接近戦はヤバイかもしれないが(汗)

寒立馬を観察しまくった後は国道338号を南下。

   

朝っぱらから直接的に1円も使っていなかったので…何と「ウニ丼の大盛り」を食べましたっ!

生きてて良かった…(マジ)

六ヶ所村を走りながらちと考える。俺の住んでいる茨城県の日立市のお隣、東海村には日本の原子力発電所の商用炉第1号機(廃炉「準備」中)があったり、隣の大洗には高速増殖炉の実験炉「常陽」(もんじゅは実証炉)があったりと、原子力関連施設が多い。
そしてここ六ヶ所村には、核燃料サイクルの中核を担う六ヶ所再処理工場が存在する。この再処理工場で使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して、高速増殖炉用の燃料として再利用したり、MOX燃料としてプルサーマル発電に利用する事になっている。

ただまぁ…先がどうなるか分からないのは皆さん御存知の通り。原子力発電所の発電が止まれば、こんな施設ももういらないと言い出す人がいるのかもしれない。まぁ悪気があってそういう事を言っているんでは無いとは思うが、残念ながらそんなに単純な話では終われないのが現実の厳しさ。我々は明日以降の「ツケ」を増やすことは止められるかもしれないが…今までのツケを都合良く同時に消し去ることなんて出来はしない。

既に使ってしまった使用済み核燃料は大量に存在し、イギリス・フランスで再処理して送り返してもらったプルトニウムも国内に存在している。2010年時点での国内在庫としてのプルトニウムは約10トン。海外(英仏)保管分が約38トン。なんと日本は合計で48トンものプルトニウム保有国となっている。日本は核兵器を持っていると疑われない事自体がおかしな話だ。言い訳としてずっと、「燃料として使います…」と言い訳を続けてきたのが我らが日本。

これどうするよ?燃料として使わないのであれば、核兵器として利用しないことを何らかの形で国際社会に証明して見せなければならない。材料という意味では、我が国日本は長崎に落とされた原爆4800発相当のプルトニウムを国家として持っているわけだ。いらなくなったなら他国に輸出しろ!とか言い出さないでくれよな。日本がプルトニウムを輸出するなんて…悪夢以外の何者でもないだろ。

ま、難しい話はともかくとして、我々は原子力の力を既に甘受してしまっており、そのツケが十分すぎるほど貯まっている事実は良く理解した上で物事を考えないと駄目なんじゃないのか?放射性廃棄物の最終処分場が決まっていない現在、中間貯蔵という名の最終処分場になる事を恐れた六ヶ所村で受け入れ反対とかが決まったら、もうどうにもならなくなるだろうよ。

早い話、今までみんなで使っちまったのは確かなんだから…放射性廃棄物も含めて人頭割で「各県」で保管しろ!ってな辺りしか落とし所がなくなるんじゃないのか?福島の原発事故で、その電力を使わない人々が住む福島という土地に原子力発電所があるという矛盾に気がついたのであれば、それこそ関係の無い日本中からの核廃棄物を受け入れる義理が、今後六ヶ所村にあり続けるとでも思うのか?

今まで沢山「金」を貰ってきたから受け入れろってか?それは「今まで」の話だろ?お前らもつい最近までは、原子力由来の電力を存分に使ってきたんだろうよ?一体どこが違うって言うんだ?

これからは「脱核燃料サイクルだ!」と、六ヶ所村の方々が言っちゃいけない理由なんて無い。

脳内「青年の主張」を繰り広げつつ走り続けいていたら…去年三沢基地航空祭見物にやってきた三沢市であまりの暑さにふらふらになり、日陰のベンチでちと休憩。

実は…色々な意味で「オーバーヒート」寸前です…(汗)

 

一本100円の「ゆできみ」を無人野菜販売所で見つけ、食べたりしながらさらに南下。ちょっと考え過ぎな自分を戒めながらも、岩手県久慈市のキャンプ場「北侍浜野営場」に何とか辿り着いた。

北侍浜野営場の環境は相当に「良い」です。上の写真みたいな環境を、他で味わった事はありません。とにかく快適です(喜)

今晩のグルメ?を御紹介。

   

   

今日のGPSログはこちら。それにしても寒立馬、可愛らしかったなぁ。

2011夏 東北の旅 『前日移動と仏ヶ浦・大間崎テントサイトで一泊』編

待ちに待った夏休み。定時のチャイムと同時に帰宅&バイクに荷物を積んで即出発したかった所ではあるが、何故か夕方から緊急打合せの開催が決定され…あんまり早くない気がする20時ちょい前に常磐道を使って北上開始。今度こそ岩手県の健康ランド「マース北上」のお泊まりパック(夜食&朝食付きで2600円)を試してみたかったんだが…さすがに時間的に無理そうな予感(涙)

ぼちぼちお盆休みが始まっていることもあり、常磐道はやや交通量多め。とは言えトップシーズンのように渋滞するまでには至ってませんで、法定速度に程良い+αを加えたスピードで進んでいきます。

いわきJCTから磐越自動車道方面に進みまして、これまた法定速度+20キロ+αで進んでいきます。まわりの車がハイペースだったので郷に入っては郷に従ったまでの事だが、最近覆面パトカーが減って平和になった気がするのは気のせいかな?

郡山JCTから東北道に乗ってからは建築資材満載の大型トラック多数に帰省の乗用車がごちゃ混ぜの、かなり交通量が多い状態ではあったが、何とか渋滞までには至らずに流れている。

仙台を過ぎた辺りから交通量が減り始め、さらに50キロほど北上したSAでガソリン給油&遅めの晩飯。

宮城県内という事で「タン塩丼」を頂きました。それにしても喫茶コーナーでお茶を飲んだりして休憩している家族連れの多さを見ると、お盆休みなんだなぁって実感が湧いてくるね。

この後は先週来たばかりの平泉エリアを駆け抜けまして、長者原SAから70キロ先の北上江釣子ICで高速とおさらば。高速料金6,400円は…罹災証明書の提示により無料です。そう言えばこの高速無料制度、現時点では国が料金を補填している訳ではなく緊急車両扱いで走らせているだけらしく、JH的には単に「取りっぱぐれている」だけな状態らしい。制度を使っておいて言うのも何だが…やっぱり何かがおかしい気がする。

日付変わって午前0時50分、毎度の事ながら「快活クラブ 北上店」へPIT IN。すぐそばに健康ランド「マース北上」もあるんだが深夜は風呂に入れないので、あんまり行く意味が無いんだよな(汗)

ソフトクリームを食べたりしながらお休みなさ~い。

~翌日 (8/11)~

朝6時30頃起床。外の様子を見てみると…どんより曇ってはいるものの、幸い雨ではないみたい。

そう言えば、それなりの日数を走る時に必ず決めている「テーマソング」をまだ今回決めていなかったので急遽検討。そうだなぁ…今回海岸線をトレースするつもり&阪神淡路大震災の翌年、原チャリで四国へ行った時のテーマソングに再登場頂くことにするかな。今回の旅のテーマソングは、ゴダイゴの「ポートピア」に決定しました。
神戸が大変だったあの当時、そう言えば俺も結構大変な目にあったなぁ。淡路島の南端から出ているフェリーに乗ろうと淡路島の先っぽまでやってきたら、何と震災の影響でフェリーが廃止に。四国まで頭上を通っている高速道路を原チャリで走る訳にもいかず…原チャリごとヒッチハイクする訳にもいかず、結局本州まで引き返して改めて四国行きのフェリーに乗ったんだった。あの時通った継ぎ接ぎだらけでガタガタな国道2号線と、未だ震災の傷跡が生々しく残っている神戸の街並み。そんな中、住宅展示場の薄ら寒いまでに整った、一時的とは言え文字通り「作られた」街並みが奇妙に感じられたことを思い出す。
それでも今では、神戸は魅力的な街へと見事に復活した。そんな願いを込めての「ポートピア」なのだ。
ちなみに今までのテーマソングの中で最高に気分が上向きになった曲は、北海道ツーリングの時に採用した横浜銀蝿の「羯徒毘路薫狼琉(かっとびロックンロール)」だな。

真夏の夜にバリバリ かんばんなびかせバリバリ♪(C)Johnny

そんなこんなで無料のモーニングセットを食べ、無料のコーヒーを飲んだりして出発。北上江釣子ICから再び東北道で北上開始。取りあえず青森まで高速で突っ走って、下北半島を時計回りにぐるっとまわって大間崎へ行くのが今日の予定。

朝の東北道は結構順調に流れていまして、盛岡を過ぎ…十和田を過ぎ(いつもだとここから十和田湖&奥入瀬渓流を走って、途中酸ヶ湯でヒバ千人風呂に浸かって青森入りするのが個人的な定番ルート)弘前を過ぎ、青森東で高速を降りたのが朝の9時過ぎ。

すでにガソリンがリザーブ側になっているのでガソリンを入れたいところだが、何故かガソリンスタンドに巡り会わぬまま、陸奥湾にちょこっと飛び出した夏泊半島へ突入。青森県入りしてからは夏空が広がっていまして、気分がハイテンションになったあたりで右手のアクセルワークにエンジンが反応しなくなり…止まる。

ガーン…ガス欠だよ(涙)

ま、ガソリン携行缶に500cc入ってるから、少なくともあと10キロは走れるはず。国道4号まで出れば…ツーリングマップルにはガソリンスタンドのマークが有るから多分大丈夫でしょう。

こんな感じに、ガソリン不足を知っていながら夏泊半島を一周しまして、国道4号で無事にガソリンスタンドへPIT IN。ま、たまにならいいけど日常的にこういう事をやっていると、マジでガス欠になって泣くことになると思うので自重せねばなるまい…(汗)

ガソリンを入れた後は、陸奥湾を左手にトレース再開。ホタテの養殖が盛んな地域なので、ホタテの貝殻が山のように積まれている場所があったりします。この貝殻を使って(混ぜて?)チョークを作っているという話を聞いたことがあるんだが、あの山全部使ったら物凄い量のチョークが出来上がるんではなかろうか。

国道279号、別名「はまなすベイライン大湊線」に入ってからは、いよいよ下北半島を北上開始。ここいら辺りまでやってくると、対向車線を走ってくるバイクのお仲間やチャリダーと「ピースサイン」の交換が始まります(喜)やっぱりこの「特に何にもない所」でお互い出くわすと、挨拶の一つもしたくなるから不思議だぁね。

   

休憩がてら立ち寄った「道の駅 よこはま」。あの大都市横浜と同じ漢字の横浜町にある。お昼時だったので、食堂で「ほたて塩らーめん」を頂きました。
スープは結構あっさりな塩加減で好みなお味。麺は中太ストレートで、上に載っている具はといいますと、磯のり・メンマ・刻みネギ・もやしにキャベツ。そして肉厚で直径も大きなほたてが丸々3個。さすがはほたての産地と言うこともあって、かなりお得感がありますね。

右は「菜花ソフトクリーム」。ここ横浜町は菜の花の栽培が盛んな土地柄だそうでして、このソフトクリームには菜の花の新芽や菜の花蜂蜜を使ったりしているそうな。色が鮮やかな黄色とかではないあたりが、かえって本物っぽさを感じます(笑)開発段階で「黄色い方が受けがいいんじゃないのか?」とか言う意見が有ったであろう事は想像に難くないな。

むつ市では、別名「まさかり半島」とも呼ばれる下北半島の刃の部分目がけて南西方向へ伸びる国道338号へ乗り換えます。右側に緑を伴った斜面が広がり左手には海と、どことなく宗谷岬に向かう道程を思わせる快適な道を進んで行き、津軽海峡方面への北へと進路を変えると同時に深い山の中を抜けていく道となります。目まぐるしく風景が変わっていくので、走ってて楽しい道だなこりゃ。
そりゃそうと、こういう場所を走っている時だけはボロバイクに壊れてほしくないですなぁ。こんな場所で動けなくなったりしたら…森のクマさんと出会ってしまう事必死なので(汗)

津軽海峡側へ抜けた所で「仏ヶ浦」に到着。駐車場にバイクを駐めて、坂道&階段を織り交ぜた下りを10分ほど下っていくと、奇岩がそびえ立つ湾に降り立つ事が出来ます。海の水がコバルトブルーで美しい中、白く輝く巨大な岩がそびえ立つ光景が広がっていて、ここは一見の価値ありです。ただし、一方的に下ってきた道程を帰りはひたすら登る事(標高差100メートル)になりますので、足腰の弱い方には無理があるかもしれません。仏ヶ浦の北に位置する佐井港から遊覧船が出ているようで、こちらなら無理なく見物出来ると思います。詳しくは公式HP「佐井定期観光株式会社」をご覧下さいませませ。

仏ヶ浦の坂道&階段をゼェゼェいいながら登り切った後は、前のファスナー全開状態のままのジャケットをなびかせて大間崎へ向かいます。今回の東北ツーリング、フルメッシュのジャケット着てこようかどうしようか迷ったんだが…着てくるべきだった気がしている…(汗)

40キロ程のシーサイドロードを堪能し、本州最北端の大間崎へ到着。それにしてもここへ来たのは何回目なんだろうか。何となく見慣れた光景だから…少なくとも5~6回くらいは来てるんだろうなぁ。

ま、何はともあれ明るいうちに、大間崎テントサイトにテントの設営を。

かなり強めの風が吹き荒れている為、張り綱も含めてガッチリ打ち込みました。ここで手を抜いて、夜中寝てる間に緩み始めたら最悪だからね。ネタ的には最高だけれども(笑)そうそう、沢山の方々が利用するキャンプ場で芝が植えられたりしているのでもっと軟らかいのかと思ったら、結構固めの地面だった。カナヅチ持っていないとペグ打ち込むのに苦労するかも。

それはそうと、何でテントの写真を撮り忘れているんだろう。やむを得ずツイッターへの投稿写真でお茶を濁します(涙)

テントの設営が終わったので晩飯&風呂&酒の買い出しへGo!。ちと時間的には早すぎるんだが、まずは大間崎の「かもめ食堂」でプレ晩飯を。

   

大間と言えばマグロなので、もちろんこちらのお店も「マグロ丼」が有名だったりするが、同じくらい有名なのが「大間崎丼」。甘辛く煮たイカとホタテがドンブリに豪快に載っているビジュアル的にこちらを注文。

注文後、しばらくすると人なつっこそうなお店のおじさんの笑顔と同時に「大間崎丼」が到着です。見た目はかなり大雑把ですが、お味の方はそんな事はなく、味付けが濃すぎる事も無く美味しく頂けます。チャリダーは当然として、何故かバイク野郎も腹を空かせている奴が多いので、この路線は受けがいいんだろうなぁ(笑)

もちろん完食です。ご馳走様でしたっ!次回はマグロ丼を頂きますかね。(店のおじさん曰く「旨いマグロ丼を食べたかったら、秋~冬にまた来てくれ。」との事でした。)

腹は膨れたので、お次は温泉へ。近くに大間温泉という名前そのまんまの場所があるらしいので行ってみる事に。大間崎からも、小さいながら曲がり角に案内板がありまして、迷うことなく辿り着けました。

温泉というよりは大きめの銭湯のような風情ですが、ちょっと塩辛いお湯はまさに温泉そのもの。今日一日の汗をきれいさっぱり流しましてと…いいお湯を有り難うございました。そういえばこういう立地だとありがちな話ですが…「本州最北端の温泉」になりますので、端っこマニアの方も是非!

最初はコンビニでビールでも買ってキャンプ場に戻ろうと思っていたら、大間温泉のすぐそばにスーパーがあることに気がつきまして、酒とつまみを無事購入。

酒樽を摸したお酒を思わず買ってみたりなんかして、本日の宴会開始。

それでは…大震災のクソったれに乾杯!

徐々に暗くなってきたキャンプ場内であるが、ある程度暗くなったところで微妙に明るいままの夜空になってしまった。満月間近の南側の月明かりが明るいのはともかく、何で北の空まで明るいのかが気になって本州最北端の碑のところまで散歩してみて原因が判明。ここから対岸の北海道までは、直線距離だとたったの18キロ。空が明るいと言うよりは、はっきりと灯り自体が見えているではないかっ!ありゃ函館だろうな。しかしまぁ、ここまで空が明るいと、ペルセウス座流星群なんて見えそうも無いな。来年に期待というところか。

北海道に行かせてくれってお願いしたかったんだけどなぁ…

こちらは昨夜~本日のGPSログ。昔っから感じてるんだけど、なんでスタート地点に旗が立っているんだろう。逆の方がイメージに合うと思うんだが(汗)