そろそろ寝なければ。

最近時折思う事がある。

今の世の中は完全無欠。「分からない事などあってはならない」…のだろうか?

 

『疑問』

僕は君が好きで、君はあいつが好きで、あいつは誰かを好きらしい

でも本当のところは誰にも分からない

 

『質問』

これから起きるであろう地震の大きさと起きる場所。どのエリアでどの断層なのか。

どんな規模でいつ頃起きるのか。起きたらどんな事になるのか。

被害の程度は?津波の大きさは?どんな備えをすればいい?それは本当に確かなんですか?

 

…正直に言ってはならないのか?

そんな事分からない…と。

目覚めた後、言ってることが変わっているかもしれないが…

カレンダー上では、かの大震災から半年が経過した。

おそらく…怒濤の如くこの半年間を振り返させる報道に、全メディアがなる事だろう。それを見る前に、今思っている事を書いておきたい。あの震災からすでに半年が経った。だからこそ申し上げたい。

「震災の当事者以外は、震災の事など忘れて自らの責務に集中するスタートの日にするべき」

この時期に、こんなクソ面白くない事を主張したい理由はそんなに難しくはない。理由はまったくもって個人的で簡単だ。俺は震災後、東北の事を気にしてこれまで過ごしてきた。それは正しい事だと思ってきたし、間違ってはいないのだろう。ただそれと同時に、本来この地に住み始めた理由すらまでも同時に片隅に追いやってきた。

守らなければならない人を目の当たりにした時、その人を守るのはもちろん恥ずべき事では無い。ただ…守ると約束してきた人々に、一時的ではない空白の時間を渡してしまう事は果たして正しい姿なのだろうか?

 

小名浜の市場食堂に見る我々の価値観…会津で聞いた秋の足音

目覚ましを使わずに起きたら何と8:30になってしまった。顔を洗って身支度をして、今回いわきにやってきた最大の理由、小名浜漁港の2階にある「市場食堂」へ。
以前より落ち着いてきているとは言え、やはり震災と津波の爪痕が色濃いここ小名浜。漁港の岸壁が修理中だったり、駐車場に引き取り手を待っている動かなそうな自動車が置きっぱなしだったりしてはいるが、見覚えのある市場食堂の看板はしっかりと出ている。

2階に上がるとお客さんの人数以外は以前のままの光景が。板書を見るとカツオ定食なるものがあったので頼んだんだが…残念ながらまだ届いていないとの返事が厨房から聞こえてきた。う~ん…「届いていない」かぁ。。。この一言は重いなぁ。

ちょうど一週間ほど前、ここ小名浜港に震災以来初となるカツオの水揚げがあり港が久々に湧いたというニュースがあった。そしてそのすぐ後に、そのカツオを築地で競りにかけたら他港の1/3の値段しか値がつかなかったというニュースがまたあった。その結果を受けて、当面は他の漁港に水揚げするという決断が下されたんだろう。

太平洋側の漁港は今現在、物理的に使えない状態の港も多いわけだが、100%の状態では無いにせよ使える港へ水揚げせずに他の地域で水揚げをする事に何か釈然としないものを感じない訳では無い。しかも千葉方面の漁港には水揚げの船が集中してしまって入港制限をしていると聞く。

しかしだからと言って競りの値段をねじ曲げるってのもおかしな事になる訳で…競りの値段の結果に関しては我々の住む世界の偽らざる実体がそこに反映されていると思って、一度受け入れるしかないんだろう。

 

でまぁ刺身定食に変更して、少々待って出てきたのが写真の品。以前の豪快な盛りっぷりを知っている方には寂しい限りだとは思うが、これ位が一般的な量とも言える。ただこの店、以前の盛りに戻す気概を失っている訳では無い事が今回よく分かった。一度食べたことがある方なら恐らくご存じの「アジフライ」が消えていない。右奥に刺身とのバランスを考えて?小さいながらも鎮座しているではないかっ!以前はアジフライ定食で出てきそうなでかさの一品が「添え」られてたからなぁ(笑)

以前のように戻るのがいつになるのかは分からないが、朝飯を食べに時折来ようと思ってます。もしかしたら刺身定食の成長が見られるかもしれないしね。ご馳走様でした!

食事の後は軽く港を散歩。運行はしていないけど確かに遊覧船2隻も無事なのね。10/1からスパリゾートハワイアンズが完全にではないけれど再開されるという事で、小名浜全体が少しずつ前に進んでいる印象だ。

実は当初、アクアマリンふくしまに行こうと思っていたんだが…市場食堂の窓から外を眺めていたら走り出さずにはいられない気分になってきた。そんな訳ですぐそばのアクアマリンの所まで行って、近いうちに一日掛かりで見学しに来ることを誓って海岸線を北へ向けて走り出した。

以前、賀曽利氏の情報だと塩屋崎灯台方面は通行止めで辿り着けないとの事だったが、今はどうだろうかと向かってみるのだが…結果は駄目。工事車両以外は通行止め。ジリジリと気温が上がってくるのを感じたため、今日の予定を改めて考える。暑くなると思うので標高の高い方面に向かいたい…となるとやっぱり磐梯山方面か?という事で国道49号を北西方向へ。程良く空いている道を100キロ程走りまして、猪苗代湖の近くで小休止。冒頭の写真は蕎麦の花が咲き誇る畑と、こうべを垂れ始めた稲穂の後ろに磐梯山。

休憩の後は珍しく裏磐梯側から五色沼方面へ向かいまして、磐梯吾妻レークライン・磐梯吾妻スカイラインをグリグリ走ります。夏休み明けの平日と言うこともあってお盆の頃よりは人が少ないですが、磐梯山ゴールドラインも含めて3本の有料道路が無料という事もあって活況を呈する浄土平。

天気がいいので、久々に吾妻小富士の上まで登ってみた。前回登った時は、火口の内側に生えている草?が色づいていた印象があるので、秋だったんだろうなぁ。ここでもPLフィルターの効き具合を確かめたりして、無料だからこそ出来る「磐梯吾妻スカイライン」を再度五色沼方面に向けて走りまして、国道459号経由で初めて二本松市の市街地へ向かいます。

ここ二本松は、高村光太郎の奥さんという呼び方はほとんどされずに「智恵子抄」の智恵子と呼ばれることの多い気がする高村智恵子の生まれ故郷だそうでして、ツーリングマップルに書かれていた智恵子抄の碑を探して市内を右往左往。

最初は霞ヶ城公園(二本松城跡)にあるのかと思って霞ヶ城公園にやってきたんだが、良く地図を見てみると「歴史資料館」にあると書かれている。そんな訳で霞ヶ城公園には寄らずに「歴史資料館」へ向けて走り出した。すると「智恵子の生家」と書かれた標識が目に入ってしまい、思わずそっち方向に進んでみるものの発見できず、ようやく歴史資料館の前に来たが碑らしきものなんて何にも無く…結果何も見学できず仕舞いで二本松市内を後にするという最悪な結末を迎えたのであった…(涙)

でもまぁ街中を走ってみて分かったのは、何やら格式の高そうな街並みがあったということ。一度下調べをして出直しだなこりゃ。それから二本松市役所の前を通りかかったとき、浪江町役場の看板が立っていたのを見た。震災から半年経った後のこの重い現実を、我々は受け止めなければならない。

この後は国道349号をひたすら南下して帰宅開始。高速使えば何てことはないんだが、急いでいるわけではないので最後まで下道で。途中新しい道を開拓しようと県道71号を走り出したのはちと余計だったかもしれないな。やたらと寂しい道を走っている最中に真っ暗になり何となく余計な距離を走った気がするだけでなく、国道6号に出た時に何故か方向を間違えて家とは反対方向へ北上してしまうこと15分と、結局あんまりいい目には会わなかった…(汗)

昼飯を食べ損なっていたので、家までの途中で「サンマ焼き定食」が食べられそうな店を第六感を駆使して探していたところ、日立市に入ってすぐの場所にここならあるんでは?的な「ドライブイン しらかば」なるお店を発見。店内に入ってメニューをみると、案の定ありましたっ!

何のためらいもなく「サンマ焼き定食」を頼みまして、サンマの焼き上がりを待ちま~す。

新聞を読みながら待っていると、ついにやってきましたっ!今年の秋最初のサンマの塩焼き!それでは頂きま~すっ!

旨~いっ!(喜)

刺身もいいけど、やっぱさんまの基本は塩焼きだぁね。骨と頭以外は全部平らげてご馳走様。この後はもう少々走りまして我が家に着いたのは21時過ぎ。

下は今日のGPSログ。今日は結構走ったなぁ。そう言えば我らがボロバイク、壊れなければ今月中に走行距離18万5千キロ突破が確実な情勢。よく走るよ全く…(笑)