亀の湯→イトーヨーカ堂→1166バックパッカーズ→イトーヨーカ堂前広場

ひふみよで読んだ国井律子のツーリングエッセイ」&「善光寺の百ヶ日法要」&「尾角光美さんの講演会」で最後に完全に止めを刺された俺。正直言ってガタガタな精神状態なので、そろそろ本来の凡人の俺自身に戻らねばなるまい。

自宅でこういう状態になったのであればブラ3(ブラームスの交響曲第三番)でも聴いてさらに駄目押しした後で、シベリウスのバイオリン協奏曲か運命か第九あたりを聴いて無理矢理再起動を図る場面ではあるが、残念ながら出先という事なので毎度の事ながら亀の湯へ。

今回の亀の湯、相も変わらず…と言いたい所ではあったが、いつもの番台のおばぁちゃんがいなかった。今日はたまたまお休みなのかな?お元気ならばいいんだけれども。

風呂上がりの後は近所の酒屋で、これまたこういう場面で大活躍するビールをグビグビ。何と1本だけではもの足らず…結局…2本飲んでしまった。この事実は、この前の健康診断で「あなたは飲み過ぎですっ!」と優しく言い放った問診の女医さんにだけは黙っておいて欲しい。

何だかんだで今日は団子2本しか食べていない事もあり、いい感じに酔いが回った状態でイトーヨーカ堂の総菜コーナーで餃子やら酒やらを買い込んで、このブログ4度目の登場となる「1166 バックパッカーズ」へチェックイン。

各自一品持ち寄った「第3会、Iターンシェア飯会」なるものに参加したりしまして、色々な手料理にお総菜、持ち込みの酒を飲んだりしながら夜は更けて行きます。

途中からは昼間お世話になった「Book&Cafe ひふみよ」ご夫妻達もご到着。長野県で「かみね公園のライオンに赤ちゃんライオンが生まれたんですよっ!」等という超ローカルな話をしたり、ドイツの見どころ情報を訳も分からず地元民に聞いてみたり、最後はお皿を拭いてみたりしながら無事終了。そして今回も…

…自前の写真が全く無いという事が帰宅後判明…あぁ…(涙)

会の終了後は金は無いけど飲み足りない計6名でイトーヨーカ堂前の広場へ移動しまして、一時期問題になっていたりした感のある「ジベタリアン」状態で、ワインを一本分け合いながら、もうしばらくの間お話などを。

最終的な会話の内容は、あんまり楽しくはないであろう話題「原発」について。何でこの話題が始まったのかは実は覚えていないんだが…多分俺が振ったんだろうなぁ…

ただ、俺が真面目に伝えたかった内容自体は覚えてる。以前このブログの記事にした事もある、最近当然の事ながら盛り上がっている「脱原発」完遂の為には、向こう数十年単位の長さにわたって原子力関連技術者が必要だと言う事実。しかも自身の積み上げた技術や経験は、この国からは消えていく事を約束された産業となる。そんな産業に今後新たに関わっていきたいなどと、あなた自身は思えるか?と言う疑問。

俺自身は残念ながら原子力関連技術者でも何でもないし、今俺の住んでいる茨城県日立市は生まれ故郷でも何でもない。とは言え、日本の原子力産業の中枢と呼べる地域に住んでいる以上は、生活している地元でしか分からない事を伝えたいと思ったのは確か。あなた方が自身の地元を愛しているように、俺はこの記事を書いている地元を愛してる。逆風の只中ならなおさらだ。

酔いの席上ではあったが、皆さんから率直な意見を聞かせて頂く事が出来た。もちろんこの場で結論が出るなんてお互い思っちゃいないだろうが、全ての原発からおそらく一番遠いであろう長野という街のイトーヨーカ堂前で、夜空に見守られながらこんな話が出来た事は本当に嬉しかった。

ま、そんなこんなで…今回も素敵な夜でした。関わり合えた皆様、本当にありがとうございました!

尾角光美さんの講演会「かなしみからあしたへ」を拝聴 ~母の日の由来~

国井律子のツーリングエッセイでいきなり現実へ引き戻され、善光寺で行われた百ヶ日法要で精神的に相当いじくり回された俺。当初行こうかどうしようか迷っていた講演会。どうしよう…正直辛すぎるんだが…でもなぁ…行きますか。善光寺本堂の向かって左手にある「善光寺大勧進」が講演会の会場で、畳の大広間であぐらを組んで待つ事少々で、尾角光美さんの講演会が始まりました。

~1時間程の講演~

俺は技術屋なので、この講演会のように目の前に演者のいる講演自体はもちろん何度も聞いた事がある。聞いた講演を要約し、多少尾ひれをつけたりしながら他人へ伝えるのは聞いた者達の当然の務め。何故ならそれ無しでは貴重な経験が伝わっていかないのだから。

…だがしかし…今回の講演会の内容、尾角光美さんの言葉を誰かに向けて再度語れる自信が俺には全く無い。話を聞きながら自分自身が泣いていたからではなく…話の内容が理解出来なかった訳でもないんだよ。

「講演会の内容が、あまりにも俺自身に響きすぎたから」

人として生きていく上で避ける事の出来ない命について…人として生きていく上で避ける事の出来ない感情について。時に自らの感情を押し殺し、時にその感情の端っこを見せてしまったりしながら進んで行く講演を語る事なんて俺には出来はしないさ。

(注)書いた本人は何となく格好つけた気分になってるが…こんな文章を読んでも講演の追体験には全くならないので悪しからず。

「この先は正式HPでっ!」とかやってしまうと、全く講演会を紹介できていない結果になるのでちと考える。。。

おっ!そうだよ。機会があったら広めてくれと仰っていた話があるではないか。助け船に乗らせてもらうよ。
「母の日の由来」について

みんな母の日って知ってるかな?自分の母にカーネーションを贈ってみたり、ちょっと照れながらお礼の言葉や手紙を渡したりする日の事だぁね。何を贈ったとしても贈りそこなったとしても…それはきっと素敵な一日に違いないだろう。母の日ってのはそういう一日。我々人間は誰しもが必ず「母」から生まれ、今日を迎えている。

…理由は様々数有れど…母と別れなければならなくなった人々の中には「母の日」が嫌いな人もいる。渡したいカーネーションを受け取ってくれる母はなく、そもそも想い出の中にいるのかどうかすら良く分からない。受け取って欲しい人へはもはや届かない…ただただ悲しい一日だ。
…そんな悲喜交々の「母の日」。出来たきっかけを知ってるかい?

米国の小さな田舎町。大切な自分の母を無くした子が、白いカーネーションを渡しながら我が母への感謝を綴ったのが由来だそうな。そして月日は流れ…我が国日本へと母の日はやってきたのであった。

もはや届かない母へ宛てたメッセージ。それこそが「母の日」の本当の意味。

あなたが届けられないと思っているものは、あなただからこそ届けられるものなのかもしれないよ?

素敵な講演会を有難うございました!

NPO法人「Live on (リヴオン)」代表の尾角光美さんの講演にて

「土日は高速1000円」狂想曲 ~finale~

今年の3/19(土)、北関東自動車道の全線開通のタイミングで企んでいた「茨城」「栃木」「群馬」「長野」を高速で一気乗り計画。かなり早い頃から長野の宿へ予約を入れていたんだが、当時週末が絡む出張が多くなっていた関係で断念。仮に出張が無かったとしても、前週に発生した震災でどのみちそれどころでは無かったわけではあるんだが。

2009年の春、当時の麻生政権により制定されたこの制度。バイクのツーリングの高速代だけで年間30万円近く払っていた俺としてはまさに現金を支給されたのと同じようなもんでして、北へ南へと存分に利用させて頂いた。高速道路の利用者が急激に増えた為に渋滞までもがもの凄く増えたりしたんだが、そこはバイクな訳でして「すり抜け」で何とかやり過ごした2年数ヶ月。そんな自分にとっては都合の良い制度…ついにこの週末でさよならだ。

そんな訳で、3月にやり損なった高速一気乗り計画をこの週末にやっておく事にした。茨城の人間にしてみれば餃子に焼きまんじゅうが身近になるであろうし、栃木・群馬の人間にしてみれば憧れの海のある「阿字ヶ浦」やら「大洗」あたりがきっと身近になる事だろう。

朝7:30に日立市のアパートを出発。最寄りのICは「日立南太田」ICなんだが、今回は「栃木・群馬県民憧れ」の海の近く「ひたち海浜公園」ICをスタート地点にしますかねぇ。

そんな訳で「ひたち海浜公園」ICから高速を走り出したのが朝8:10。友部JCTからは急激に交通量が増えまして、右も左も最後の1000円の想い出づくりに向かうであろう自動車だらけに。9:20に都賀JCTで東北道へ一時的に合流すると、これまた何じゃこりゃぁ?な交通量に。岩舟JCTから再度北関東道単独の区間に入っても交通量は減るどころか各インター毎に流入過多になりまして、10:00頃通過した一区間だけの関越道では、上信越道方面への分岐でまさかの渋滞が発生。

「お前らどこまで行く気なんだぁ~っ!」と連なる自動車を横目にすり抜けしまくって、渋滞こそ解消したもののアップアップ状態の上信越道を走り続けて更埴JCTへ到達したのが11:20。須坂長野東に到着したのが11:30過ぎ。異常な渋滞が無ければ330キロを3時間という感じだろうか。しかもこれだけ走って高速代が一台あたり1000円(もちろん明日までではあるけれども)。

これは北関東道の開通で、栃木と群馬だけでなく長野も確実に近くなったという印象だなぁ。日立から東名で静岡方面へ向かうと「牧ノ原」SAまでがおよそ350キロ。途中首都高を抜けて行かねばならない関係で連休等では深夜・早朝に都内を抜けてしまわないとアホみたいに時間が掛かるのは走った事のある方であればご存知の通り。

ただ…正直言ってこれは手放しでは喜べない。今回の北関東自動車道の全線開通はあんまり世の中に浸透していなかったからまだいいとは思うんだが、2年数ヶ月という時間は一時的と呼ぶにはあまりにも長すぎ、十分な効果を発揮したと呼ぶにはあまりにも短すぎた。

俺が原チャリで四国を一周した時にもお世話になった明石から四国へ渡る「たこフェリー」はぶっ潰れ、急激に立地条件の良くなった高速上のリニューアルされたSAは大賑わい。そして来週末からは…SAの出店がピンチだろうよ。そんなに簡単に、そこに住み、そこに暮らす人々の生活が変えられるとでも思っているのか俺達は?

まさに国をあげての狂想曲…ま、この曲に関しては、もうすぐ終わりがやってくるんだけれどもさ。

俺も含めて…世の中あまりにも日和見主義過ぎるんではなかろうか…等と思いつつ、前回キャンセルしたからには今回もちろんお世話になる宿「1166 バックパッカーズ」の前にバイクを駐めさせてもらったり(ギリギリ1台分しか有りません。期待する場合は宿へ事前連絡を!)して、行くと言ったからには行こうと思っていた「Book&Cafe ひふみよ」へ向かいます…