やっぱりGWは東北へっ! ~女川・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡でまさかの…編~

「南三陸町の桜」

御番所山で迎えた朝はいい天気。ま、トイレも水道も使えない場所ではあったが、お隣の学生さんと共に爽やかな朝を迎えることが出来たのであった。

「俺と若者のテント」「御番所山から眺める朝の風景」

牡鹿半島の突端に突き出した太平洋側の御番所山からの眺めは素晴らしかったが、写真に撮ってみると今イチだったりするので小さめのサイズで(笑)

俺はこのまま北上するつもりなんだが、学生さんは西の方に位置する田代島に沢山いると言う猫を見に行ってみたいので船に乗るつもりだと言っている。多分、鮎川港から船で渡ると思うんだが…まともに運航しているのだろうか?昨日の夕方通りがかった時には運休の雰囲気を感じたりもしたんだけれど…あえてその事は伝えずに、一足お先に俺は出発。

バイク乗りの若者よ…自分の目で確かめてこいっ!

もちろん俺達バイク乗りも旅先で色々と情報交換をしたりする。「あそこは良かった!」とか「あそこは今イチだった」とか。教えてもらった情報で思いがけない場所に辿り着ける事も多かったりするが、自分が行こうと決めた場所には自分の足で実際に向かってみるのが一番だ。旅に効率を求めてしまうのはある意味勿体ない事だと思うよ。

もしも今回辿り着けなかったのなら…また来ればいいだけの事。ただそれだけだろ?

そんなこんなで若者と別れた俺は牡鹿半島の県道を駆け抜けて一路女川へ向けてひた走ります。リアス式海岸の南側の入り口という事もあって、海沿いではあるが結構な高所を進んで行く。

実は昨日も感じたんだが…走っていて去年の光景と違うと感じるのは、仮設住宅が高台の小さなスペースに沢山出来上がっているという事。それはもちろんあの頃の状況を考えれば喜ばしい事なのだとは思うのだが…その数は10箇所や20箇所なんぞという話では無い。そしてそのどれもが公共交通機関とは接続出来ていないであろう場所に立地していて、自由に外と行き来するには自家用車や臨時バスなどの手段を使っても相当な時間を要するであろう場所に立地している。そこに暮らす方々にはお歳を召された方も多いであろう事を考えると…正直複雑な気持ちになる。

「女川の街並み」写真は女川原子力発電所の脇を通り抜け、去年もK氏と一緒にやって来た女川医療センターの駐車場から見る女川の街並み。あんまり変わっていないようにも思えるが、瓦礫はさらに片付けられ、桟橋までの道も整備されている。それに何と言っても女川漁港の近くにある製氷工場が操業を再開しているという事は、漁が再開した事を物語っている。この街は少しずつではあるが、着実に前に進んでいる事を感じた。

「女川医療センター おちゃっこクラブ」そうそう、女川医療センターの駐車場には「おちゃっこクラブ」なるカフェ?も出来ていた。どうやら高台にあるこの病院を起点に街の再生を図る予定らしい。「女川カレー」に心を引かれたのだが、ちと早すぎる時間という事で今回は断念。

…また来ます!(約束)

この後は間違えて小冨士山のまわりをぐるっと廻ってみたりしつつ、さらに北上して南三陸町へ。

「南三陸町 神割崎」南三陸町も津波の被害が多かった場所であるが、元々厳しい自然環境であるが故に出来上がっている観光名所は当然の事ながら今日も健在だ。神割崎も見事に真っ二つ。是非実際に足を運んで見てみて頂きたい光景だ。

そうそう、神割崎のオートキャンプ場には仮設住宅が建てられているので、夏休みに利用予定の方は問い合わせをしてみた方が良さそうだね。

そして…冒頭の写真は南三陸町の北のはずれで見掛けた桜。もはやスクラップと化しているクルマがうず高く積まれている向こう側にも、震災後二度目の春は変わらずにやってきている…

「気仙沼 復興屋台村」その後さらに北上を続けて気仙沼へ。上の写真はNHKの番組で悪戦苦闘の立ち上げの様子を拝見した事も有り是非来てみたかった「気仙沼 復興屋台村」。ちょうど昼時に到着した事もありまして、沢山のお客さんで賑わっていました。

【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 気仙沼横丁 大漁丸 店構え【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 気仙沼横丁 大漁丸 「生ウニ入り海鮮丼」

今日の昼飯は「気仙沼 復興屋台村」の「大漁丸」で「生ウニ入り海鮮丼」を。お値段高めだったけれども…俺はそれを喰いに来たんだから文句は無い。同じ太平洋沿いの海に生きる一員として加勢に来たんだしね(笑)気仙沼の皆さん、共に頑張っていきましょう!

「陸前高田市 奇跡の一本松」気仙沼で昼飯を頂いた後は、さらに北上して陸前高田市へ。残念ながら枯れるのを待つ状態になってしまっているらしい奇跡の一本松。今はしかし…雄々しく空に向かって一人立っている。

陸前高田市はリアス式の海岸線にあって平野が広がる住みやすい土地。それ故に被害も甚大で基礎部分だけが残る住宅街が今日も広がっている。

「陸前高田市 奇跡の一本松の後ろ側」実は「奇跡の一本松」のまわりは瓦礫置き場。去年よりも高さは低くなったが、今でも瓦礫置き場である事に変わりは無い。どちらかというと、こちらの方が現実である。

 

この後さらに北上して大船渡のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしたんだが…エンジンが掛からない。2速に入れて後ろに揺すって…をやると普通掛かるんだが…掛からない。。。げっ。。。バイクを何度も何度も前後に揺すっていたら…

何と…「立ちゴケ」しましたっ…(涙)

ガソリンスタンドの店員さん&近くの商店の店主さんに手伝ってもらってバイクを引き起こし、邪魔にならない所にバイクを移動して天を見上げる俺。

…さすがにこれは駄目かも…

実は4年程前からセルモーター(スターターモーター)の廻り方が怪しかった。初めて始動不能になったのは北海道の人っ子一人居ない場所だったなぁ。とにかくエンジンが掛かってくれないとどうにもならないので色々やっていていたらエンジンが何とか無事に掛かったのだった。

セルモーターのブラシが減っているのか何なのか…2速にぶち込んで少々後ろに揺すってモーターの回転軸を無理矢理ずらすと何とか廻ってくれたので騙し騙し乗り続けていたんだが…ホントの寿命が来たらしい。そう言えば奇跡の一本松を見た後の始動はギリギリだったからなぁ。。。

…これは帰るしか無いな…

エンジンが冷えると掛かる事もあるのでしばらく待ちます。。。で、スターターを廻してみるものの…

「カチッ(リレーの音だけが空しく響く…)」

こりゃ駄目だ。ガソリンスタンドの近くに緩やかな坂があったので、上までバイクを運んで押し掛けを試してみるものの…始動までは至らず。。。ゼェゼェ…

そうこうしていると、さっきのガソリンスタンドの店員さんが気遣って下さいまして…自分の車のバッテリーとボロバイクのバッテリーを直結して下さったんですが…やはりエンジン掛からず。

駄目だ…この後どうしよう…大船渡にバイクを置いて帰宅かぁ…(涙)

などと思っていたら、目の前の小料理屋に軽自動車が到着。…ん!?この小料理屋の駐車場の坂は押し掛けにぴったりなのでは!?もうここしか無いっ!

「お宅の坂を貸して下さいっ!」などという訳の分からないお願いに、お店の女将さんは笑顔でこう言って下さった。

「こんな坂で良かったらどうぞ。」と…

女将さんに丁重にお礼を言って、リアの荷物を全部降ろしてバイクを坂道を押して登ります。「どうしたの?エンジン掛からないの?壊れちゃったの?」という女将さんのお言葉の手前、どうせやるなら一発で決めなければなりません。坂の上までバイクを持ち上げた後、額の汗を拭って押し掛け?チャレンジ!

お借りした坂道で少々速度がついた所で3速に入れたまんまのクラッチを一気に繋いだ所…

ブブブ…ブォ~ン! エンジン掛かりましたっ!(喜&涙)

エンジンはもちろん掛けたまま、女将さんにお辞儀をしてリアの荷物を積み直しまして…日立のお家に戻ります…この後、下り坂以外ではエンジンは止められません。

2012_04_30_ルートガソリンスタンドで満タン給油直後に始動不能になった事も有り、あと400キロ程は走れそうだが…さすがに我が家まで400キロでは帰れないだろう。結局セルフのスタンドでエンジン掛けっぱなしで給油したり(スペアキーでガソリンタンクの蓋を開けました…)、何を血迷ったか最短距離を目指した様な仙台東道路ルートで南下してしまい、福島第一原子力発電所の立ち入り禁止区域にはじき返されて、結局…福島西ICから高速経由で帰宅したのが午前1時。大船渡からの帰宅路は電装系に問題があるかもという事で配線を全部外してしまったので、実はGPSログ手書きです(汗)

ま、何とか帰ってこられた事を素直に喜んで今夜は乾杯。中古で買ってある予備のセルモーターが鹿嶋にあるので明日交換してみよう。それでも駄目だったら…

「電車でGo!」 (お前…ちとポジティブ過ぎるだろ…)

2011夏 東北の旅 『鳥海ブルーライン・道の駅 とざわ・蔵王エコーライン・道の駅 喜多方』編

6時30分頃目覚め、「マース北上」の朝食バイキングをたいらげた後7時15分頃に出発。夏休みも残すところ今日と明日だけなので、涼しげな所を選んで走りたい。そんな訳で天気もいいので、ちと遠いが鳥海山目がけて出発進行!

道程的には非常に単純で、北上から国道107号でひたすら西に向かって走ると日本海に出ます。日本海に出たら国道7号で南下すると鳥海ブルーラインがありますんで左折です。130キロ程の長さですが、もしかすると左折を2回だけしかしないのかも(笑)

朝の国道107号が物凄く快適でして、何と9時過ぎには日本海と御対面。由利本荘市のセルフのスタンドでガソリン入れたら、サービス期間という事で「ガリガリ君 梨」を貰った。おっ!これが噂の梨味ですか。もちろんその場ですぐに頂きます。

旨~~~いっ!(喜)

「ガリガリ君 梨」来年は是非とも潤沢に生産して欲しいなぁ。

「道の駅 にしめ」の隣の畑にはひまわりが沢山咲いていた。いかにも夏って感じだね。

   

道すがら見つけた「白瀬南極探検隊記念館」を見学したりなんかもした。皇帝ペンギンってかなりでかいのね。それから南極の氷に直に触ることが出来ます。冷凍ケースはどう考えても一般的なアイス用だったりするけれど(笑)

この後はいよいよ鳥海ブルーラインなんですが、あまりの気分の良さに気がついたら全部走り終えていました…そんな訳で…写真0枚(汗)

鳥海ブルーラインの南側の終端に、十六羅漢岩という名所らしき場所があったので行ってみた。規模こそ小さいが日本版「ラシュモア山(アメリカの大統領の彫刻が彫られている山)」ってな感じかな。それにしても暑い…
この後は、少しずつ茨城寄りに移動しておこうと考えて国道345号→国道47号→国道13号を通って強引に蔵王エコーラインへ向かったんだが、このコース取りははっきり言って避暑的には大失敗だった。山形県の内陸部って冗談抜きにクソ暑いんだよ…(涙)

    

途中「道の駅 とざわ」ではお昼ご飯に「焼き肉ビビンバ」を頂きました。戸沢村には韓国人の方が多く住んでいらっしゃるそうでして、道の駅の建物が韓国の宮廷風と他ではなかなか目にしない道の駅です。そう言えば昔2年間ほど一緒に仕事をした韓国人の張さんは今でも元気にしてるのかな。

蔵王エコーラインを上って標高を稼ぐまではヒーヒー言ってましたが、蔵王の上まで来てしまえば爽やかです。そうそう、この涼しさを待ってたのよ。

蔵王エコーラインを堪能した後は、遠刈田温泉の神の湯でひとっ風呂浴びていきました。いやぁ、汗かいた後の温泉はたまらんなぁ(喜)

風呂からあがって、そろそろ今日の宿泊先を決める訳だが、さすがに近くにある健康ランド「カッパ王国」で夏休み最後の夜を過ごすのはもったいないので、結構遠いが喜多方の道の駅に行くことにした。何でまた喜多方なのかと言いますと、朝ラーメンが食べたいだけでなく「磐梯吾妻スカイライン・磐梯山ゴールドライン・磐梯吾妻レークライン」の豪華有料道路三本セット、何と今年は冬期閉鎖まで福島観光テコ入れの為無料だったりするんだよね。この機会に三本の有料道路を「往復」してみたいなぁなんて思っているのだ(笑)普段じゃ絶対やんねぇよ。6000円近く掛かるから…(汗)こんなセコイ理由で白石ICから東北道で喜多方を目指すんだが、お盆休みのUターンラッシュがすでに始まっているようで、断続的に30キロ程渋滞していた。なんか久々に高速道路ですり抜けしまくった気がするなぁ。郡山JCTで磐越道に乗ってからはさすがに空いてまして、会津若松のスーパーで買い物したり何かして、20時半頃に「道の駅 喜多方」に到着。

キャンピングカーを中心に結構な人数がお泊まりモードでくつろいでいます。良さそうな場所は既にあらかた押さえられている状態なので、駐車場の隅っこにテントを立てて夏休み最後の宴会を開始。

   

   

遅い時間だったからこそ手に入った和牛焼き肉用(半額)を筆頭に、栃尾油揚げやら、カット済みスイカ等でこの夏休み最後の宴会開始。

それでは福島に…そして東北に乾杯!

今日のGPSログ。さすがにちと走りすぎだぁね(笑)

 

2011夏 東北の旅 『黒崎灯台・鵜の巣断崖・潮吹穴・浄土ヶ浜島めぐり・大津波記念碑』編

朝5時30分過ぎに起床。コーヒーなどを飲みつつ、のんびり過ごしまして…撤収作業を終えて朝7時ちょい前に出発。

今日の目的地はあんまりはっきりとは決まっていないんだが…岩手県宮古市にある、本州最東端に位置する「トドヶ埼灯台」に行ってみようかなぁと思ってる。遊歩道を1時間ほど歩かないと辿り着けないらしく、そこまでして灯台を見に行った事は今まで無いので、多分未踏の地。灯台に関してはとにかく行きまくっている為、どこに行ってどこに行っていないのかが個人的に何が何やら分からなくなっているってのが正直な所(汗)

アップダウンの激しい国道45号をひたすら南下。昨日買い物をした時にも感じたが、久慈市の市街地(郊外型の店舗が多い場所)は特に津波の被害を受けてはいないようで何よりだ。石油備蓄基地のタンクが流されたり、押し寄せる津波の映像を何度も見ていたから心配だったよ。

ただ、三陸鉄道と国道45号が並行して走る海に面したエリアの被害は大きい。今回津波という形で押し寄せた、自然の力の大きさをまざまざと見せつける光景が広がっている。

途中、黒崎灯台に立ち寄った。ちょっとした公園の敷地の一部のような場所にあります。標高130メートルの断崖の突端に立つ灯台なので、灯台本体は結構小さめで可愛らしい程。東京の小金井からいらしたチャリダー(輪行で八戸から走って来たそうだ)のおじさんと、今回の震災やらなんやかんやで少々お話をしたりしつつ、さらに南下。

看板に誘われてやってきた「鵜の巣断崖」。駐車場から展望台まで300メートルほどあるんだが、整備された遊歩道がウッドチップで出来ていて、歩くとフカフカしていて気持ちが良い。木陰なので風も気持ちいいしね。

天気が良すぎてやたらと暑いので「道の駅 たろう」でちと休憩。「果肉入りいちごソフトクリーム」が旨い。バニラの部分が黄色っぽくて結構独特。道の駅の駐車場は関東ナンバーの車だらけだ。みんな帰省なのかな?

この道の駅を出た後は、道の駅の名前にもなっている「田老地区」へと入っていく。見上げるような立派な堤防の内側には、無惨な光景が広がっている。

下から見上げると十分に高く見える堤防の高さはしかし、国道沿いに掲げられた「最大津波到達予想地点」には遙かに及ばない。この高さまで堤防を築くのは現実的な選択では無いであろう事も理解は出来る。かといってここより上に住むという事にするのであれば…それはもはや今までの集落とは似ても似つかぬものになるのだろう。難しいな…本当に。

住宅の基礎部分だけが残る一帯に、寂しく佇むバス停があった。バス停の足下には、誰かが置いたプランターの花壇。土気色の単調な空間に突如現れた小さな色彩に目を奪われる。実は写真を撮ろうかと思って一度停まったんだが…やめた。

潮吹穴という看板が気になりやって来た。ちょっとした断崖の階段を下りていくと展望台があり、上から潮吹穴を見ることが出来る…のだが、海が穏やかなため全く潮を吹かないので、結局どれが潮吹穴なのか分からずじまいに終わった(汗)この潮吹穴、吹かないことの方が多いため、地元では「ホラ吹き穴」とも呼ばれているらしい(笑)

宮古市の市街地に入る直前、市街地の北側に位置する浄土ヶ浜へやってきた。駐車場にバイクを駐めてヘルメットを脱いでとやっていると、何やら「浄土ヶ浜島めぐり」なる遊覧船の運行案内をしているではないか。12時ちょうどに出港らしいので乗り込んだ。

(注)通常の桟橋が破損していて使えないため遊歩道を歩いて浄土ヶ浜まで降り、裏側の桟橋からの出港になってました。

観光遊覧船という事で、景色の解説をして下さるガイドさんも乗船してます。

ガイドさんの解説と共に出港しますが、しばらくの間は「ウミネコのエサ」をウミネコにあげるのにみんな精一杯ってな感じだなぁ(笑)それにしても風光明媚な場所ですな。

この観光船「潮吹穴」のすぐそばにも行きますので、運が良ければそのダイナミックな光景が見られるかもです。ガイドさんが言うには、「台風の翌日に来るといいですよ!」との事でした。そりゃまぁ豪快な潮吹きは見られるでしょうが、観光船が滅茶滅茶揺れそうだぁね…(汗)

皆さんウミネコにエサをあげ終えて、ちょっと落ち着いてきたた遊覧船。帰り道ではガイドさんから震災の当日のお話がありました。今我々の乗っているこの遊覧船、地震を感じた船長さん達がすぐに沖合に避難したから無事だったそうです。また、壊れてしまっている堤防の話や、陸のどこまで津波が押し寄せたかなど。それから地図を指さしながら「トドヶ埼」の近くにある姉吉地区で最大の津波が観測されたこと、そしてその地区の石碑に刻まれた先代からの教えを守ってきた事で、今回の津波による住居の被害が無かった事の紹介など。

「トドヶ埼」かぁ。時間的に今日行くのは無理そうな気がしてきたなぁ(汗)

そうそう、7月16日から「浄土ヶ浜島めぐり」は元気に運行再開していることを宣伝して下さいとの事だったので微力ながら御紹介を。ってかこの記事自体がすでに紹介か(笑)ウミネコと巡る40分間の遊覧船のHPはこちら「浄土ヶ浜島めぐり」です。

船を降りた後は浄土ヶ浜を堪能しましてバイクに戻ったんですが…

暑い…暑すぎる…トドヶ埼は明日にしよう…(逃)

あまりの暑さに完全にやる気を失いまして、取りあえず昼飯を食べようと宮古駅前にやってきた。「魚鮮亭 すみよし」というお店が目にとまったので入店。

   

マグロの中落ち丼は売り切れだったので、焼き魚定食(鯖塩)を注文。何となく焼き魚を食べるのは久々な気がするな。鯖も旨かったが、磯のりのたっぷり入った味噌汁も旨かった。やっぱりこういう定食が一番落ち着くやぁね。ご馳走様でした!

十分涼んだところで出発なんですが…明日トドヶ埼に行くとなると今日の行動範囲が狭くなるなぁ…それに明日も何だか暑そうだぜ?往復3時間歩くんだったら…涼しい季節の方がいいんじゃないのか?

よ~っしゃ決めたっ!トドヶ埼は秋にしよう!(更に逃)

宮古市内の海沿いは、相当数の信号機が点灯していない。信号制御用の箱が見あたらないので、一旦取り外して修理しているのだろうか。それとも流されてしまったのか。市内を抜けた後、灯台まで歩くのは秋にするにしてもスタート地点の下見くらいはしておこうと県道41号でトドヶ埼方面へ向かう。

高台から急激に下る道を進むと入り江のような空間が。一体この空間にはかつて何があったのかが全く想像できない程の荒廃した空間が広がっていて、堤防の一部と思われる巨大なコンクリート製の構造物がおかしな角度でひとつ転がっている。道路が寸断されてしまっているが、よく見ると応急処置的に砂利を敷いて道が作ってあり、小さな岸壁の様な場所にバイクを停めた。波のない穏やかな小さな湾の中では、地元の子供達がカヌーで遊んでいる。

ふと見ると、真新しい小さな看板に「トドヶ埼灯台」の文字が。看板の指す先を見ると…確かに階段らしきものが山の斜面を登っている。新しい看板があるという事は…灯台まで行けるという事なんだろう。そう言えばトドヶ埼灯台へはキャンプ場から歩いて行くんだったよなぁ。影も形も無くなっているが…

…そう言えば、遊覧船のガイドさんが言っていた姉吉地区ってのは…もしかしてさっき通ってきた集落の事なのか。

トドヶ埼灯台へ向け再びやって来ることを心に誓って急な坂道を登っていくと、津波の被害が周囲から消えた頃合いで「大津波記念碑」が道の脇にひっそりと建っていた。

これは…

実は先日読んだ「失敗学のすすめ」で、教訓が風化し伝わらなくなる例として、他の地域の「大津波記念碑」とその下に建てられた民家の写真があった。この姉吉地区はそうではなく、この碑の教えを守ったという事か。

高き住居は児孫に和楽

想え惨禍の大津波

此処より下に家を建てるな

この碑の教えを守ってきた姉吉地区の住民は、この碑によって守られた。

この後も海岸沿いを南下を続け、山田町を通って大槌町のローソンでちと休憩。近場に営業しているスーパー等が無いためか、お客さんの人数がとても多い。そして店の外のベンチでゼリーを食べていて気がついたんだが、ニュースで聞いたとおり確かにハエが多い。困った問題だ。ローソンを出発して釜石市内へ。釜石は大きな街並み故、昔ながらの商店街があったりするんだが…やはりこちらも海沿いは被害が大きい。それから宮古市内同様、消えたまんまの信号機が沢山ある。

そろそろ今夜の寝床をどうするか考えなければならないんだが…そうだなぁ…国道283号を西に走って、GWに泊まった「道の駅 とうわ」に泊まっちまうかぁ?風呂付きだしね。

相変わらずの適当さで国道45号に別れを告げ、国道283号を走っていたら何と銭湯を発見!街道沿いにあるなんて、珍しい立地の銭湯だ。

ひとっ風呂頂いて店の前で涼んでいたところ、銭湯の店主っぽい方から声を掛けられた。この方何気に物知りでして茨城県日立市からやって来た事を伝えると「昭和40年代に地方交付税の不交付団体だったのはここ釜石市と日立市だけだったんだよ」とか、「そこに線路があるだろ。この路線は日本で2番目に開業した鉄道で、弁慶号っていう汽車が走ってたんだよ。」等々。そう言えば、弁慶号ってこの前鉄道博物館で見たよ。なるほど、ここを走ってたのか。

こんな感じに楽しいひとときを過ごした後は、ひたすら西に向かって突っ走る。走りながらふと思った。もしかして「マース北上」ってこの先にあるんじゃないのか?だったらそっちにするかな。今日は生ビールが飲みたいし。

今夜は健康ランド「マース北上」に泊まる事にしてひたすら走り…着きました。深夜料金込み&夜食と朝食がついて2600円とかなり良心的な値段設定。

   

夜食はおやつ程度のものだったが、朝飯バイキングはお好み次第でいくらでも量を増やせます(笑)

それでは今日のGPSログを。