ねぶた祭りは夜の祭り 「気付いた時には後の祭り…編」

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何と二週連続で週末は各種研究機関の見学をするなどという文化的な生活を送ってきた俺。今週末はどうするかと言いますと…

今までのツケを払うべく、突っ走るに決まっているではないかいな(笑)

てな訳で、青森のねぶた祭の会場近くに臨時の無料キャンプ場があるから来ないか?と飲み鉄な方に言われた事をトリガーに青森へGo!

青森なんてたかが600㎞ちょい。俺様にしてみれば大した距離ではない事は明白なので…

念の為、軽く寝てから出発しました…(爆)

そんなこんなで仕事から帰宅後2時間程お昼寝?しまして、22時丁度に日立の高級アパートを出発。今回はGPSログを最初に御紹介。

【岩手県前沢市】 前沢SA 「前沢牛焼肉丼&豚汁」常磐道・磐越道・東北道をガンガン走りまして…午前2時頃に岩手県の前沢SAへ到着。実は晩飯をまだ食っていないので…

前沢牛焼肉丼&豚汁を食うのでありますっ!(ベタな展開&味噌汁付いちゃってるよ…)

飯と一緒にボロバイクに給油をしたりなんかしまして…八戸自動車道との分岐の手前にある「岩手山SA」にて再びガソリン給油。ここまで来れば青森まであと160㎞程だ。もうガス欠の心配はいらないね。(と言うか、この後高速道路上にガソリンスタンドが無い…特に足の短いバイクに乗ってるバイク野郎は気をつけた方がいい)

北海道ツーリングでフェリーに乗る時は十和田ICで高速を降りて十和田湖方面を抜けていくのが個人的な定番だったりするのだが、今回は朝からねぶた祭りを楽しみたい&出来たら事前に少し寝たいと言う事もあってそのまま高速使って弾丸ツーリングを決行。

徐々に白んでくる空の下、山間をクネクネと抜けていく高速道路を駆け抜けて…

20120804_050006思った以上に早い時間帯、朝5:00に青森のフェリー乗り場近くにある臨時無料キャンプ場に到着。おぉっ!アホなお仲間が沢山いるではないですかっ!

さて、何処にテントを張ろうかな?と思っていたら…

20120804_053638何と飲み鉄な兄貴降臨!あちらさんも驚いていたが…正直俺も驚いたよ。だって…

朝起きるの早くね?(笑)

ま、偶然出会ってしまった事もあり仕方無くお隣にテントを張りまして…しばし歓談。

一応今日の予定を社交辞令的に聞いてみると…なるほどなるほど。津軽鉄道に乗りに五所川原方面に向かうとな。そう言えば昨日からこちらのキャンプ場に兄貴は来ている訳だから、色々と見所を知っているだろうと「ねぶた祭の昼間の見所」を聞いてみた所…えっ。。。そうなの?

(兄貴) 「そもそも、ねぶた祭りってのは「夜の祭り」だからねぇ。」

(俺)   「そっ…そうですよね。」

…微妙に漂う「やっちまった」感…(爆)

 何だよ、少し考えればねぶた祭りが夜の祭りだって事ぐらい普通気が付くだろうよ…あぁ…。

ま、もうすでに青森まで来てしまっているのでポーカーフェイスで乗り切ります。この後は兄貴と一緒に青森駅近くの「青森まちなか温泉」で朝風呂を。いやぁ、こんな場所があったとは知らなかった。青森駅&銭湯とかをキーワードに検索掛けてもあんまり引っかからないと思うんだが、ここは朝6時から営業しているよ。こりゃ鉄な方には特にお勧めだ。

二人で朝風呂を頂いた後はそれぞれの道へ。兄貴は五所川原方面へ乗り鉄に、俺は春にバイクで来た時に見つけ損なった国道4号線の終点部分を探す旅に出まして…歩き回る事約5分程でついに見つけたのだっ!

「日本最長の国道4号線終点」こちらが国道4号線の終点。日本最長の国道の終点なのに…ショボかった…(涙)

【青森県青森市】 青森魚菜センター 「のっけ丼」【青森県青森市】 青森魚菜センター 店構え

朝風呂に向かう時に兄貴に教わった青森魚菜センターで朝飯を。少しずつあれこれ乗せていけるのはそれだけで楽しいね。どんぶり飯に市場のお店であれこれ少しずつ載っけていけるのは、釧路の「勝手丼」と同じスタイルだ。

ちなみに元祖?釧路の勝手丼誕生秘話としては、金を持っていない貧乏ライダー相手に少しずつ具を乗せてやったってのが始まりという嘘のようなホントの話だったりするのであります(笑)

「青森県立美術館 あおもり犬」朝飯を食い終わっても「ねぶた祭」が始まる時間にはまだまだ程遠いので…ビールを飲みつつ青森駅前から市営バスに乗り込んで青森県立美術館へ。青森の観光ガイドには必ず紹介されていて昔から気になっていた「あおもり犬」のオブジェの前へやってきた。おぉっ!こいつがそうなのかっ!とにかくデカイ。

「三内丸山遺跡」美術館のすぐ近くには日本有数の遺跡「三内丸山遺跡」があるのでこちらも見学。ちょうどボランティアツアーが始まる所だったので御一緒させて頂いた。6000年程前の縄文時代の遺跡という事で門外漢という事も手伝って正直あんまり期待していなかったのだが…

こいつは凄いっ!

「三内丸山遺跡 ボランティアガイドさん」今回案内をして下さったこちらのボランティアガイドさんの解説がこれまた素晴らしい。時に日本の考古学を突き放し、時に日本の考古学に対して愛情たっぷりというツンデレ具合(笑)冗談はともかくとして、その人を惹き付ける話しっぷり…もしかして元学芸員の方なのかもしれないな。素敵な解説をどうも有り難うございました!

「青森港遊覧船にて」そんなこんなで三内丸山遺跡から市営バスで再び青森市内へ。去年JR東日本パスでやって来た時には、正直ここはこの先大丈夫なんだろうか?ってな印象を受けた「青森県観光物産館アスパム」はまさにお祭りムード全開!観光遊覧船が出るという事なのでもちろん乗船なのであります。

少女の持つ「かっぱえびせん」とそれを追いかけるカモメ達。吹き抜ける潮風と響き渡るディーゼルエンジンの低い音がとにかく平和な昼下がり。

…そんな訳で、ねぶたは次の記事だよ…(笑)

2011夏 東北の旅 『かっぱの湯・恐山・尻屋崎・八戸・北侍浜野営場』編

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朝5時頃に目が覚めた。今日も天気が良さそうだなこりゃ。お湯を沸かしてコーヒー飲んで、テントを畳んで…歯を磨いて顔を洗ってと色々やって、朝6時過ぎに出発進行! 冒頭の写真は風間浦町から見えた津軽海峡の朝の景色。美しい。

津軽海峡を左手に、海沿いを走る国道279号(通称「はまなすライン」)を気分良く進んでいき、途中大畑町で薬研温泉方面へ。西の方から恐山に行こうとすると、どうしてもこの道になるよね。一本道だから。

まっすぐ恐山に行ってしまうのは勿体ないので、無料の温泉へ久々に寄っていくことに。

朝7時過ぎに現地に着いたんだが、誰もいない雰囲気。看板を見てみると、知らない間に混浴ではなく時間帯によって男湯・女湯と分ける方式に変わったらしい。男女の時間帯の情報はこちらのページをどうぞ。「薬研温泉 かっぱの湯
これってでも、家族連れやカップルには厳しい変更だよなぁ。ま、有料の温泉に入れば良いだけといえばそうなんだけれども… 「かっぱの湯」誰もいなかったので、風呂場も撮りました。あれれ?こんな雰囲気だったっけか?何か変わったような気もするが…昔を思い出せないなぁ…(汗)

写真の後は実際に朝風呂へ。ま、湯船に浸かっただけではありますが、朝風呂は気分がいいもんです。 P1120677身を清めた後は結構なクネクネ道をグリグリ登って恐山へ。写真は初めて恐山へ来た時には帰りがけに気がついた「三途の川」に掛かる橋。当時、反対側から橋を渡った挙げ句「ショボイ橋だなぁ…」なんて思ったりもしたが、幸い今日までこちら側の世にいたりしている(汗)この橋を渡ったのは家族旅行も含めると6回位かな。そうなんだよね。俺って同じ場所に何度でも行ける体質らしく、時折周囲にビックリされることがある。何でそんなに同じ所に行って飽きないの?ってな具合に。俺にしてみりゃ、同じデパートに何度も行くのだって大して変わんねぇんじゃねぇのか?と思ったりもするんだが…まぁいいか。

霊場として有名な恐山だが、いつでもイタコの口寄せをやっているわけではなく7月と10月の祭典の時だけなのでご注意を。 恐山 菩提寺この恐山にある「恐山菩提寺」を取り巻く環境は、宗教的なものを大して信じない俺みたいな人間に対してすら地獄と極楽浄土の存在を意識させるような世界が現実に広がっている事がある意味恐ろしい。

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P1120807最後の方に極楽浄土的な美しい砂浜を伴った湖があるんだもんなぁ。凄いところだよまったく。そう言えば今回もかっぱの湯に入ったばかりだったので入りはしなかったんだが、恐山の中にある温泉(小屋が建ってます)は、普通に入っていいそうなので興味のある方は入ってみてください。男湯・女湯・混浴で、計4ヶ所あるそうです。温泉がある事は昔から知っていたが、何か特別な施設だと思っていたよ(汗)

【青森県むつ市】 恐山 「霊場アイス(ヨモギ)」【青森県むつ市】 恐山 店構え

恐山参拝?の〆はこちら「霊場アイス(ヨモギ)」です。「良薬は口に苦し」なんてキャッチコピーが添えられてましたが、普通にさっぱりしつつも甘いアイスでした(笑)

恐山を後にして山道を下った後は、県道6号線で尻屋崎へ。この道も尻屋崎の近くでは海沿いを走るので、爽快感たっぷりですな。

寒立馬

ゲートを抜けて尻屋崎へ入り(尻屋崎全体が大きな放牧地なので、馬が逃げないようにゲートがあります)尻屋崎灯台の近くにいましたいました、寒立馬(かんだちめ)!

理由は良く分かりませんが、今日は密集隊形で草をむしゃむしゃとはんでいました。

 

基本的に温和しい馬なのですが、ある一線を越えて接近するとどこからともなく馬が駆け寄ってきて、体当たりしようとするので注意が必要です。馬の行動を良く見ていると、どうやら人間の子供に対しては警戒してないみたいだったなぁ。子供にカメラを持たせて写真撮ると傑作が出来るかも。ま、カメラを持った子供に対しては警戒心を持つのかもしれないので、いきなり接近戦はヤバイかもしれないが(汗)

寒立馬を観察しまくった後は国道338号を南下。

   

朝っぱらから直接的に1円も使っていなかったので…何と「ウニ丼の大盛り」を食べましたっ!

生きてて良かった…(マジ)

六ヶ所村を走りながらちと考える。俺の住んでいる茨城県の日立市のお隣、東海村には日本の原子力発電所の商用炉第1号機(廃炉「準備」中)があったり、隣の大洗には高速増殖炉の実験炉「常陽」(もんじゅは実証炉)があったりと、原子力関連施設が多い。
そしてここ六ヶ所村には、核燃料サイクルの中核を担う六ヶ所再処理工場が存在する。この再処理工場で使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して、高速増殖炉用の燃料として再利用したり、MOX燃料としてプルサーマル発電に利用する事になっている。

ただまぁ…先がどうなるか分からないのは皆さん御存知の通り。原子力発電所の発電が止まれば、こんな施設ももういらないと言い出す人がいるのかもしれない。まぁ悪気があってそういう事を言っているんでは無いとは思うが、残念ながらそんなに単純な話では終われないのが現実の厳しさ。我々は明日以降の「ツケ」を増やすことは止められるかもしれないが…今までのツケを都合良く同時に消し去ることなんて出来はしない。

既に使ってしまった使用済み核燃料は大量に存在し、イギリス・フランスで再処理して送り返してもらったプルトニウムも国内に存在している。2010年時点での国内在庫としてのプルトニウムは約10トン。海外(英仏)保管分が約38トン。なんと日本は合計で48トンものプルトニウム保有国となっている。日本は核兵器を持っていると疑われない事自体がおかしな話だ。言い訳としてずっと、「燃料として使います…」と言い訳を続けてきたのが我らが日本。

これどうするよ?燃料として使わないのであれば、核兵器として利用しないことを何らかの形で国際社会に証明して見せなければならない。材料という意味では、我が国日本は長崎に落とされた原爆4800発相当のプルトニウムを国家として持っているわけだ。いらなくなったなら他国に輸出しろ!とか言い出さないでくれよな。日本がプルトニウムを輸出するなんて…悪夢以外の何者でもないだろ。

ま、難しい話はともかくとして、我々は原子力の力を既に甘受してしまっており、そのツケが十分すぎるほど貯まっている事実は良く理解した上で物事を考えないと駄目なんじゃないのか?放射性廃棄物の最終処分場が決まっていない現在、中間貯蔵という名の最終処分場になる事を恐れた六ヶ所村で受け入れ反対とかが決まったら、もうどうにもならなくなるだろうよ。

早い話、今までみんなで使っちまったのは確かなんだから…放射性廃棄物も含めて人頭割で「各県」で保管しろ!ってな辺りしか落とし所がなくなるんじゃないのか?福島の原発事故で、その電力を使わない人々が住む福島という土地に原子力発電所があるという矛盾に気がついたのであれば、それこそ関係の無い日本中からの核廃棄物を受け入れる義理が、今後六ヶ所村にあり続けるとでも思うのか?

今まで沢山「金」を貰ってきたから受け入れろってか?それは「今まで」の話だろ?お前らもつい最近までは、原子力由来の電力を存分に使ってきたんだろうよ?一体どこが違うって言うんだ?

これからは「脱核燃料サイクルだ!」と、六ヶ所村の方々が言っちゃいけない理由なんて無い。

脳内「青年の主張」を繰り広げつつ走り続けいていたら…去年三沢基地航空祭見物にやってきた三沢市であまりの暑さにふらふらになり、日陰のベンチでちと休憩。

実は…色々な意味で「オーバーヒート」寸前です…(汗)

 

一本100円の「ゆできみ」を無人野菜販売所で見つけ、食べたりしながらさらに南下。ちょっと考え過ぎな自分を戒めながらも、岩手県久慈市のキャンプ場「北侍浜野営場」に何とか辿り着いた。

北侍浜野営場の環境は相当に「良い」です。上の写真みたいな環境を、他で味わった事はありません。とにかく快適です(喜)

今晩のグルメ?を御紹介。

   

   

今日のGPSログはこちら。それにしても寒立馬、可愛らしかったなぁ。

『2011春 東北ツーリング』  ~~ エピローグ ~~

Show the flag.

かつてこの一言に、多くの日本人が心のどこかで焦りと無力感を感じた事がある。

「こんな発言はそもそも無かった」とか「訳し方が間違っている」という遅れての報道は、かつて「金は出すが人は出さない日本」と呼ばれた頃の記憶を思い出してしまった当時の我々にはもはや響いてこなかった。対テロ戦争という名の「戦争」に対して、日本は「人的支援」をそもそもすべきなのかどうか、思い悩んだ2001年の冬。

阪神淡路大震災では、海外から応援に駆けつけた「救助犬」に対し、検疫に3週間掛かると通告したというニュースに誰もが唖然とした。ただ、これを機に「ボランティア」という言葉の意味を我々は知った1995年。

湾岸戦争では、バブル絶頂期にあった我々日本は「平和憲法」の精神に沿う形で「巨額の拠出金」を多国籍軍へ行ったにも関わらず、クウェートの感謝決議に読み上げられる事は無かった。ほんの数隻の船を出しただけのモロッコは感謝決議に含まれていた1991年。

我々は完成した安全な社会を生きている存在などでは未だ無く、未完の不安定な世界の中を生きている存在だ。今、皆さんの立っている足元の大地、たかが100年前にはアスファルトなんぞ存在せず、たかが1000年前には大地であったかどうかすら疑わしい。

「旗」…と言われれば別な何かがある気もするが、「フラッグ」と言われたらバイク乗りとして思い浮かべるのはやっぱり「ホクレン・フラッグ」。

あの大きな北海道を5つ位のエリアに分け、給油した各地のホクレンでもらった旗をリア・バッグに差して走りまくるのが夏の北海道でのバイク乗りの楽しみの一つ。結果、ホクレン・フラッグ欲しさに北海道を走りまくる結果になるんだが、ガソリンの無駄使いと言われれば確かにそうかもね(笑)

今回の東北ツーリング、男鹿半島で気が付いたってのは正直ちと遅すぎたんだが…無事に?全部集められたので披露しましょう!

Show the flag!