「新潟の美術家たち展Ⅱ~復活!国道252号~ライダーハウス風来坊」編

「夕暮れ時の檜原湖」

~夕暮れ時の裏磐梯 檜原湖にて~

本来なら今週末こそは仕事上のとある案件を進める日だったのだが…またしても延期に。そんな訳で新潟県南魚沼市で開かれている「新潟の美術家たち展Ⅱ」(2012年9月14日(金)~10月2日(火))に急遽向かう事にした。

何でまた絵心のない俺みたいな奴が遠路遙々この展覧会に向かうのかと言いますと…かつての大学時代のオーケストラで一つ下の代のコンサートマスターをやっていた奴が組写真を出展すると聞いたから。

で…何やら「午前中は会場にいます」という俺宛なのか何なのか良く分からないメッセージがあったので朝7時過ぎに日立を出発。常磐道~北関東道~関越道を乗り継いで、新潟県の六日町ICに到着したのが10時過ぎ。秋の?三連休初日という事もあって交通量自体は多めだったが、ほとんど渋滞とは逆方向に走っていた関係で目立った渋滞に遭遇する事なく到着できたのでありました。天気も良いし、いい気分だったよ。

南魚沼・魚沼ってのは皆さんご存じだと思うがコシヒカリの一大産地でありまして、国道17号を走っていると、黄金色に輝く広大な水田でお米の収穫を始められている農家の方々の姿があちらこちらに(写真撮っとけば良かったなぁ…)。そろそろ新米の季節ですなぁ(喜)

「浦佐駅前 田中角栄の像」今回の展覧会の会場「池田記念美術館」の最寄り駅、浦佐駅前のセブンイレブンでちと休憩していたら、目の前に「日本列島改造論」&ダミ声で有名な「田中角栄」の像が。像にも雨避けの傘?が用意されているあたりが地元の支持率の高さっぷりを物語る。

ただ…もしも故 田中角栄氏が今の世に生きていたら、どういう未来を語るのかってのには興味があるな。長いあいだ閉塞感ばかりが漂う日本において、強烈なパワーをもってこの国の道筋を「一つだけ」示してくれるであろう事だけは確かな気がするよ。

あのダミ声でね!(俺、嫌いじゃないんだよ)

「新潟の芸術家たち展Ⅱ 大学オケ時代の一つ下の代のコンサートマスター」そしていよいよ新潟の美術家たち展Ⅱの会場である池田記念美術館へ。入館するとカメラマンベストを羽織った見覚えのある顔が立っていた。

いやぁ…15年ぶりかっ!?翔子っ!(←当時のあだ名)

俺とコイツの関係は先にも書いたが…大学時代のオーケストラで一緒だった間柄。俺の一学年下のコンサートマスター(オケを代表するバイオリンの一番偉い存在で、演奏後指揮者と最初に握手する人と言えば分かるかな?)だった人物。

俺は一学年上で同じ学生オーケストラの部長だった関係も有り、当時あれこれ話をする機会も多かったんだよな。あぁ…100人近い学生オーケストラをまとめるのはクソ面倒だったよ…とあれこれ言いたいところではあるが…このネタは別の機会にでも。

そして…あれから15年後のコンマス(コンサートマスターの略)は、見事にプロカメラマンになっていたのであった。

主に舞台カメラマン(音楽関係)として活躍しているそうでして、今回の組写真はモンゴルの首都ウランバートルで行われた民俗音楽コンクールで初めて写真撮影が行われた時のもの。もちろん撮影者は元コンマスだ。

胡弓のような弓で引く弦楽器(何と2弦!)に横笛、サックスと同じ構造のシングルリードの楽器(音も似ているそうだ)がモンゴルの民俗楽器の代表格だそうな。

【新潟県魚沼市】 そば処 薬師 「天ざる大盛」【新潟県魚沼市】 そば処 薬師 店構え

ウランバートルでの暮らしぶりやら何やらを元コンマスお勧めの蕎麦屋で蕎麦を頂きながら聞いたりなんかして過ごしたのでありました。昔の話だけでなく、これからの色々な話もしたんだが…ま、好きになった相手がウランバートルにいるんだったら、あれこれ難しく考える必要はないと思うよ。

面倒くせぇ!ウランバートルに行っちまえっ!(笑)

好きになってからあれこれ考えるってのは悪くないと思うな。逆よりも余程いい。

「大水害により壊れてしまった只見線の橋」この後は国道252号経由で磐梯方面へ! いやぁ…この道が復活してないととんでもなく遠回り(新潟市街経由)をするしかないから助かったよ。

(注)国道252号は9/25~10/8まで通行止め予告看板有り!最新の情報を確認願います!

 途中、昨年の大水害で流されてしまった只見線の橋を眺めて少々凹んだり…

「大水害により壊れてしまった只見川に掛かっていた橋」

これまた只見川に掛かっていた橋が完全に崩落している光景にさらに凹んだりしまして…

【福島県柳津町】 「つきみが丘町民センター(日帰り温泉)」福島県柳津町にあった「つきみが丘町民センター」で塩辛い温泉に浸かって復活したのでありました。ここ柳津町ってのは「赤べこ発祥の地」だそうな。それにしても世の中切ない光景が多すぎるよなぁ。。。

この後は夕暮れ模様の磐梯山ゴールドラインを突っ走って夕暮れギリギリの檜原湖へ。冒頭の写真がそうです。焼けなかったものの、透明感のある素晴らしい光景を眺める事が出来ました。写真の出来はともかくとして…美しかった。

「バイク野郎は地図がお好き」そんな訳で、今夜は以前一度お世話になった事のある「ライダーハウス風来坊」(裏磐梯の超リゾート地にありながら、一泊何と500円なのですっ!)に宿泊。

風来坊の正面エリアでは10人位のツーリングクラブの方々がバーベキューをやってました。そういうのも有りなんですね。なるほどなるほど。。。

そして写真は今夜お世話になった7号船?の様子。バイクツーリング野郎が俺も入れて3人泊まる事になりまして、俺達にしてみりゃ当然の光景なんですが…酒が入ってくると皆地図を開いて…「ここだ!あそこだ!」が始まりますです(笑)ちなみにこちらは確か、明日のバイク雑誌主催のミーティング会場を説明していた時の写真。

実はこのお二方&俺、日本中を相当走りまくっている方々でありまして…あらかたの端っこにはすでに行った事のある3人が揃ったのでありました。お互いに巡った場所の何を振っても「あぁ…あそこは○×…」という展開になる中、一番笑ってしまったのがこちら。

~四国最西端に位置する「佐田岬」に話題が及んだ時の事~

Aさん  「佐田岬の先っぽに行ったんだけど…結局駐車場で寝たんだだよ。怖くってねぇ。」

Bさん 「あのキャンプ場へは荷物を持って行ったんですが…怖くて結局駐車場に寝ました」

俺   「…えっ。右端にある駐車場ですか?俺もあのキャンプ場は怖かったので駐車場に…」

(一同) 「結局みんな同じ駐車場に泊まったのかよっ!」(爆)

いやぁ…夜に一人で行けば分かると思うんだが、佐田岬のキャンプ場って魔方陣の真ん中にいるような気分になるので一人じゃキャンプする気にならないんだよ(笑)

こんな感じにバイク乗りならではの、あれこれ楽しい話の進んだ夜なのでありました。

「ライダーハウス風来坊にて今宵のお仲間」

珍しく記念写真を撮ったので御紹介。

左から「香取ライダー」・「日立ライダー」・「八王子ライダー」です。

写真は傾いてますが(笑)「ライダーハウス風来坊」での素敵な一夜に感謝です!

2012_09_15_ルート

今日のGPSログはこちら。

国道252号が走れたので相当近道出来たんだけど…走りすぎ(笑)

1年半

週末のブログの更新がまだまったく手付かずなんだが…こちらの話を先に。

今日9月11日はアメリカ同時多発テロから11年、東日本大震災からちょうど1年半という日。東日本大震災の事を考えると…1年半という時間は長くもあり、そして短くもある。

この1年半という長い時間によって、俺も含めて人々の心に徐々にではあるが余裕が出来てきたのは確かな事だ。全てが元通りというわけではないが、もうあの震災の何かを引きずって毎日暮らしている方はそう多くはないだろう。

今皆が気になるのは…今年の秋刀魚の脂の乗り具合やら最近封切られた映画の良し悪しに、今度の三連休のお天気は?という微笑ましいものなんじゃないのかな?平穏な日々の暮らしが戻ってきたのはもちろん素敵な事だ。

時間が解決してくれる…それは確かにそうなのかもしれない。

辛い事や悲しい事があっても、いつか時間が解決してくれる…確かにそう思えるし、そしてそう思う事が出来た人々にとって時間とはきっと味方。

 

今週末のツーリングで岩手県の大船渡から宮城県の石巻の海岸線を再び走った。1年半の間の沢山の方々の尽力により、幹線国道上ですら凄まじい土埃が舞うかつての姿はもうそこには無い。基礎部分を瓦礫が覆い隠していたかつての住宅街は綺麗に瓦礫が撤去され、基礎部分だけが残っている。そしてかつてガタガタだったり境界線の分からなかったりもした道路は本当に走りやすくなった。これは1年半という時間があったからこそ成し得たことだろう。だがしかし…

仮設住宅が色々な場所に出来上がってきた頃から…東北の太平洋沿岸部の街並みの変化はどういう訳か完全に止まってしまった。

集積場にうず高く積まれている瓦礫の高さは高く低くと変わったりもしたが、その悲しい街並みは未だ全く変わっていない…本当に何も進んでいないんだよ。その理由は今の政治故なのかもしれないし、高台に土地が無いというもっと根本的な問題故なのかもしれない。理由は正直言って俺には分からない。

ただ…この地に暮らしていた方々にとって恐らくこの1年半という時間は味方ではなかっただろう。この地に住んでいた方々にとって時間というのは味方どころか憎むべき存在ですらあるのかもしれない。1年半も経ったのに何も変わらないじゃないか…と。だから神を信じる事を知らない俺ですら何かに祈りたくもなる…

頼むから時間を止めないでくれっ!

秋田ツーリング後半戦 ~冬が来る前に…東北の太平洋沿岸を…編~

「奇跡の一本松」

~陸前高田の奇跡の一本松~

正直言って今日は終日雨だと思っていたので、たらふく飲んでのんびり起きたら…

…雨降ってねぇじゃん!(喜&涙)

秋田のビジネスホテルのネバネバ系朝食そんな訳で急いで荷物を積み込んで走り出したと言いたいところだが…のんびり朝飯を頂いて(秋田の朝食はネバネバ系食材だらけだったな)、お茶を頂きながら…

新聞の地方欄の「能代ロケット実験場特別公開」の報道具合をチェックする俺(あのなぁ…)

地方欄をジロジロと眺めていたら、知らない方がいい情報も沢山あった。「秋田ビアフェス 2012」なる地ビールの催しが昨日大盛況だったらしく…何と今日も行われるらしい。

行きたいけど…今日帰るバイク乗りの俺が行ける訳ねぇよ…あぁ…(涙)

今日の過ごし方としては秋田をのんびり巡って高速使って一気に帰るってのも選択肢の1つとしてあったんだが…この微妙な空模様だと早めに南下してしまった方が良さそうなので秋田道で一路東北道方面へ。

途中、絶対に雨に降られるだろうと思っていた秋田&岩手県境でも雨に降られる事無く、B級グルメの焼きそばで有名な横手市でも晴れ間が広がるという予想外の展開!ほんとに雨が一滴も降っていないのよっ!

この後は水沢ICで東北道と別れを告げ、国道397を時折休憩を挟みながら東へ進んで大船渡の沿岸部まであと少しの地点で…何故か突然「使徒」がやってきた。

「エヴァンゲリオン風味な道路工事標識」道端にエヴァンゲリオン風味な道路工事標識が…。誰だよこれ作った奴っ!(爆)

一気に「現場」まで行ってしまおうかとも思ったが、三陸鉄道南リアス線の北端の駅「盛駅」ってのがちと気になったので立ち寄ります。

「三陸鉄道南リアス線 盛駅」お隣のJR大船渡線も震災の影響で運休中という事もあり閑散としていると思ったら、なにやらお祭り的なイベントが行われていたので結構賑やかだった。

「三陸鉄道南リアス線 盛駅にて」駅に停めてある車両を見学してみたり、フランクフルトを頂いたりなんかして海岸線へ。

「バイク始動不能&立ちゴケした思い出のガソリンスタンド」現場です…俺のバイクはこのガソリンスタンドで始動不能に陥り…立ちゴケしました…(涙)

冗談はさておき、「2011・3・11 津波到達ライン」と屋根に書かれているのが分かるだろうか?信じられるか?ここまで波が来たんだぜ。

「俺的コクリコ坂から」何なんだこの写真はっ!と思われるかもだが、この小料理屋さんの駐車場の坂道で俺のボロバイクは息を吹き返したのであった。俺にとっては思い出の坂。写真左の坂でエンジン掛かったのよ!

「この坂をコクリコ坂と名付けてくれっ&ついでに世界遺産登録を!」(無理)

大船渡も大きな被害を受けた地域ではあるが…幸いな事に高台が多い地形だった事もありバラック形式の店舗が多数営業を再開しているのが印象的。

この後は冒頭の写真、「奇跡の一本松」で有名な陸前高田市へ。かつては広大な瓦礫の街だったこの大平野だが…目立った瓦礫はもう無い。

そして奇跡の一本松以外、今はもう何もないままだ。一軒のガソリンスタンドが復旧した位しか前回との違いが俺には見いだせないのが微妙なところでもある。しかもこれを書いている最中、この奇跡の一本松も保存の為とはいえ一旦伐採されてしまったそうだ。

「陸に押し流された気仙沼の大型漁船」陸前高田を後にして、リアス式海岸を縫うように走る国道45号線をひたすら南下。気仙沼の北の入り口では今も陸に打ち上げられた大型漁船の姿が道沿いに存在する。船と海とを隔てる真新しい道路と電柱と信号機の存在が、ここに住む人々の決意を物語っているように思う。

【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 あたみ屋 「ネギらーめん」【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 あたみ屋 店構え

気仙沼でかなり遅めの昼飯を。復興屋台村で海鮮丼でも…と思ったら、軒並み仕込み中だったので「あたみ屋」さんでネギらーめんを頂いたのでありました。辛いものを食べるとすぐに汗だくになる俺という事を知ってか知らずかあれこれ心配して下さった女将さん、ご馳走様でした!また来ますよっ!

その後は上下左右にくねくねと進む国道45号線を走りながら…海沿いはもちろん、高台ですら住宅の基礎部分ばかりが広がる光景を目にしながら思う。何でここにわざわざ俺は足を運んでいるのか…と。

見ないで済むなら見ない方が幸せな光景っていうのはもしかしたらあるんじゃないのか…

「南三陸町の商店街」

そしてこちらも被害の大きかった南三陸町の入り口にやってきた。沢山の旗が掲げられた仮設商店街があったので小休止。

「南三陸町の商店街 たこ焼き」「南三陸町の商店街(たこ焼き屋さん)」

 「橋脚だけになってしまった国道45号線」

橋脚部分しか残っていない本来の国道45号を眺めながら「多幸のたこ焼きネギマヨスペシャル」を頬張る俺。

「よみがえれ故郷 ふんばれ 南三陸町」南三陸町の中心部では、辛うじて残った鉄骨の建物で沢山の外国人ボランティアの方々が汗を流していた。皆さん本当にありがとう。故郷はきっと誰にとっても大切な場所だ。

ふんばれ南三陸町!

日没までに女川に辿り着けるのでは?と思っていたんだが…豪快に道を間違えた関係で女川町地域医療センター(旧女川町立病院)の駐車場に辿り着いたらすでに真っ暗。

そんな訳で残念ながら写真は無いが、こちらも街並み自体はほとんど変わっていない印象だ。でも秋刀魚の水揚げが始まったという明るいニュースも耳にしている。また来るよ!

「石巻市街にある3D漫画像」そんなこんなで、もはや夜と呼んでしまっても良い19時に石巻に到着。石ノ森萬画館は再開の工事が始まってた。そして商店街のヒーロー像に「よく残ってたなぁ…」などと呟いてみたりなんかして、ここからは高速使ってバキューンと家まで帰ったのでありました。

2012_09_09_ルート今日のGPSログはこちら。随分と縦に長いなこりゃ(笑)