長野一泊ツーリング最終日 ~志賀草津道路を駆け抜けて…八ッ場ダム建設予定地で考える~

1166バックパッカーズで通算4度目の朝を迎えた俺はやっぱり善光寺へ。何度祈っても祈り足りない気は正直しているんだが…やっぱり宗教自体を信じるような自分自身にはなれる気がしないな。どの神様が総元締めなのかは知らないが、今回の事態を抑えられないんだとしたら神様としての職務怠慢か力不足のどちらかだろう?違うのか?

ま…お賽銭を投げて手を合わせてる最中に実際に願った内容は真逆だったりするんだが…

若干二日酔い気味の頭をセブンイレブンのサンドイッチとポカリスエットで再起動して、ラウンジのテーブルの上でツーリングマップルを眺めながら今日のルートを考えます。…まぁ今日中に日立市の家へ戻らなければならないとなると、あんまり選択肢は多くありませんな。「志賀草津道路」か「軽井沢ルート」か「ビーナスライン+高速」の3種類ってな感じだな。

どれも魅力的ではあるんだが…長野市内にいて日立方面へ向かうなら、やっぱり関東近郊では抜群の人気を誇る「志賀草津道路」が妥当だろうなぁ(笑)自分の中でルートを決定した後は余裕が出来まして…ラウンジでコーヒーを飲んでいた愛知県某所から来ていた女性二人組に、愛知県某駅の改札で当時付き合っていた女性に別れ際にビンタをされた事を成り行きで何故か披露したりしまして…(汗)…AM8:30に志賀草津道路へ向け出発です。とにかく俺は一言多すぎるんだよ。

「志賀草津道路」へ向かうために、千曲川を一旦上流方向へ。ホントは寄ろうと思っていた小布施は、観光&立ち寄り湯ともにちと時間的に早すぎるため今回は時間的に断念。まぁ確実にまたやって来ますので少々お時間を。

そして信州中野市?からいよいよ志賀草津道路(国道292号)へ。天気自体は曇りではあるが、事前の雨予想と比べれば天国だ。道中、所々の展望PAで景色を眺めたりしながら長野県と群馬県の県境・渋峠へ到着。

標高2,172メートル、文句なく気分が良いと同時に涼しさ全開だっ!

ふと思うんだが…言葉として正しいかどうかはともかくとして電源廻りとネットの通信さえ確保できたら仕事が出来る業界(俺も数ヶ月単位でそういう状態になる)は、夏場は高所に移転すればいいんではなかろうか?涼しい環境下で仕事をし、寒くなってきたら下界へ降りる。かつてのジプシーを彷彿とさせる生活スタイルだが、ある程度以上の人数で行えば、冷房に必要な電力は確実に減らせるだろう。

   

志賀草津道路を堪能しつつ、ついに草津市内へ。国道沿いなのでバイクを駐めやすい「まんじゅう茶屋」へ。今回はバラ売りの薄皮温泉まんじゅうをその場でパクリ。 草津市内を駆け抜けた後は、ひたすらのんびり走り続けた。俺の中ではこのまま今回のツーリングは平和に終わるんだろうなぁ…と思っていたら冒頭の写真の場所に辿り着いた。

八ッ場ダム。新政権が政治判断で建設中止を表明した地。

八ッ場ダムの建設予定地で、当時完成する事自体が「悪」とされていた雰囲気がありつつも、結局はご覧の通り完成した橋の写真を撮りながら考える。

バイクであちこち走り回っている事もあって、実際に行った事がある地名がニュースに登場する事が沢山ある。半分は楽しそうな話題で、もう半分は嫌になる話題。

群馬県長野原町あたりの国道145号を走っていて突然空中に現れる建設中の橋が、当時問題になっていた八ッ場ダムの建設予定地と知った時は、なるほどあそこの事なのかぁ…と思った訳だ。当時、結局は地元住民の生活を考慮した上で中止が決まっている訳ではない事に対して、かなり頭に来たりもしたもんだ。だが…今になって考えると、あの時の俺は想像力が著しく足りなかったとしか言いようが無い。

ダムの予定地というのは、ダム湖の下に沈む事を意味する。そんなの当たり前だと思うかもしれないが、ダム湖の下に沈むと言う事は、今まで暮らしてきた自分の故郷や生活の場へ出入り出来なくなるという事。だからここで暮らしている方々は、ダム湖の上の土地へ移住する準備を進めていた。

何かに似ているとは思わないか?緊急性こそ無いにせよ…福島の原発周辺で今現在起きている事そのままだ。○年○月○日に一気に移住なんて訳にはいかないので部分的な移住が始まり、地域住民の暮らしそのものがやむを得ず「一時的」にバラバラになり始めていた…

それがいきなりのダム建設中止宣言である。作らないダムに掛かる橋なんぞ必要無いというのは確かにそうだ。すでに移住してしまった方々の事を無視すれば理に適っている。ダム湖に沈む事が決まっている事もあり、新たな取り組み・投資をする事が出来なかった川原湯温泉街は、見通しを誤ったと言えるのなら理に適っているだろう。

「ふざけんじゃねぇ!」と思わないか?どの政党がどうのと言う事を言いたい訳ではない。あまりにもそこに暮らす人々の事をないがしろにし過ぎだろ。俺達は、やはり何かを間違ったまま今日を生きている。そして正直な事を言うと、この場で一番衝撃を受けたのは…

俺自身がこの「八ッ場ダム」問題を綺麗さっぱり忘れたまま今日まで暮らしてきたという事実。

忘れる事は悪い事だけではもちろん無い。忘れる事が出来るが故に迎えられる明日もあろう。だがしかし、現在進行形で起きている悲しい出来事を、俺はやっぱり同じように忘れていってしまうのだろうか…そして、忘れられていく立場になるのであろうか。

そんなこんなで、観光客が減ってしまっているガラガラの日光を走りながら見つけた看板がこちら。

第1いろは坂の35カーブが工事中らしいので気をつけて欲しいらしい。

「場所をイメージ出来る訳無いだろっ!」(汗)

    

「正嗣 今市店」で朝昼兼用の餃子計4人前を頂きました。それにしても旧「今市市」ってのは、お店にとって酷な響きだよなぁ(汗)そんなこんなで、宇都宮からは高速でワープ。

笠間PAでは、今まで見たことのない台数のバイク乗りが休憩中。写真に入りきらなかったのも含めて30台以上は停まってたなぁ。今一スカッとしない数ヶ月と梅雨の合間の曇り空、そして高速1000円最終日ということでみんな繰り出してきたんだろうなぁ。気をつけて帰ってね。

一応今日のGPログなどを。

亀の湯→イトーヨーカ堂→1166バックパッカーズ→イトーヨーカ堂前広場

ひふみよで読んだ国井律子のツーリングエッセイ」&「善光寺の百ヶ日法要」&「尾角光美さんの講演会」で最後に完全に止めを刺された俺。正直言ってガタガタな精神状態なので、そろそろ本来の凡人の俺自身に戻らねばなるまい。

自宅でこういう状態になったのであればブラ3(ブラームスの交響曲第三番)でも聴いてさらに駄目押しした後で、シベリウスのバイオリン協奏曲か運命か第九あたりを聴いて無理矢理再起動を図る場面ではあるが、残念ながら出先という事なので毎度の事ながら亀の湯へ。

今回の亀の湯、相も変わらず…と言いたい所ではあったが、いつもの番台のおばぁちゃんがいなかった。今日はたまたまお休みなのかな?お元気ならばいいんだけれども。

風呂上がりの後は近所の酒屋で、これまたこういう場面で大活躍するビールをグビグビ。何と1本だけではもの足らず…結局…2本飲んでしまった。この事実は、この前の健康診断で「あなたは飲み過ぎですっ!」と優しく言い放った問診の女医さんにだけは黙っておいて欲しい。

何だかんだで今日は団子2本しか食べていない事もあり、いい感じに酔いが回った状態でイトーヨーカ堂の総菜コーナーで餃子やら酒やらを買い込んで、このブログ4度目の登場となる「1166 バックパッカーズ」へチェックイン。

各自一品持ち寄った「第3会、Iターンシェア飯会」なるものに参加したりしまして、色々な手料理にお総菜、持ち込みの酒を飲んだりしながら夜は更けて行きます。

途中からは昼間お世話になった「Book&Cafe ひふみよ」ご夫妻達もご到着。長野県で「かみね公園のライオンに赤ちゃんライオンが生まれたんですよっ!」等という超ローカルな話をしたり、ドイツの見どころ情報を訳も分からず地元民に聞いてみたり、最後はお皿を拭いてみたりしながら無事終了。そして今回も…

…自前の写真が全く無いという事が帰宅後判明…あぁ…(涙)

会の終了後は金は無いけど飲み足りない計6名でイトーヨーカ堂前の広場へ移動しまして、一時期問題になっていたりした感のある「ジベタリアン」状態で、ワインを一本分け合いながら、もうしばらくの間お話などを。

最終的な会話の内容は、あんまり楽しくはないであろう話題「原発」について。何でこの話題が始まったのかは実は覚えていないんだが…多分俺が振ったんだろうなぁ…

ただ、俺が真面目に伝えたかった内容自体は覚えてる。以前このブログの記事にした事もある、最近当然の事ながら盛り上がっている「脱原発」完遂の為には、向こう数十年単位の長さにわたって原子力関連技術者が必要だと言う事実。しかも自身の積み上げた技術や経験は、この国からは消えていく事を約束された産業となる。そんな産業に今後新たに関わっていきたいなどと、あなた自身は思えるか?と言う疑問。

俺自身は残念ながら原子力関連技術者でも何でもないし、今俺の住んでいる茨城県日立市は生まれ故郷でも何でもない。とは言え、日本の原子力産業の中枢と呼べる地域に住んでいる以上は、生活している地元でしか分からない事を伝えたいと思ったのは確か。あなた方が自身の地元を愛しているように、俺はこの記事を書いている地元を愛してる。逆風の只中ならなおさらだ。

酔いの席上ではあったが、皆さんから率直な意見を聞かせて頂く事が出来た。もちろんこの場で結論が出るなんてお互い思っちゃいないだろうが、全ての原発からおそらく一番遠いであろう長野という街のイトーヨーカ堂前で、夜空に見守られながらこんな話が出来た事は本当に嬉しかった。

ま、そんなこんなで…今回も素敵な夜でした。関わり合えた皆様、本当にありがとうございました!

尾角光美さんの講演会「かなしみからあしたへ」を拝聴 ~母の日の由来~

国井律子のツーリングエッセイでいきなり現実へ引き戻され、善光寺で行われた百ヶ日法要で精神的に相当いじくり回された俺。当初行こうかどうしようか迷っていた講演会。どうしよう…正直辛すぎるんだが…でもなぁ…行きますか。善光寺本堂の向かって左手にある「善光寺大勧進」が講演会の会場で、畳の大広間であぐらを組んで待つ事少々で、尾角光美さんの講演会が始まりました。

~1時間程の講演~

俺は技術屋なので、この講演会のように目の前に演者のいる講演自体はもちろん何度も聞いた事がある。聞いた講演を要約し、多少尾ひれをつけたりしながら他人へ伝えるのは聞いた者達の当然の務め。何故ならそれ無しでは貴重な経験が伝わっていかないのだから。

…だがしかし…今回の講演会の内容、尾角光美さんの言葉を誰かに向けて再度語れる自信が俺には全く無い。話を聞きながら自分自身が泣いていたからではなく…話の内容が理解出来なかった訳でもないんだよ。

「講演会の内容が、あまりにも俺自身に響きすぎたから」

人として生きていく上で避ける事の出来ない命について…人として生きていく上で避ける事の出来ない感情について。時に自らの感情を押し殺し、時にその感情の端っこを見せてしまったりしながら進んで行く講演を語る事なんて俺には出来はしないさ。

(注)書いた本人は何となく格好つけた気分になってるが…こんな文章を読んでも講演の追体験には全くならないので悪しからず。

「この先は正式HPでっ!」とかやってしまうと、全く講演会を紹介できていない結果になるのでちと考える。。。

おっ!そうだよ。機会があったら広めてくれと仰っていた話があるではないか。助け船に乗らせてもらうよ。
「母の日の由来」について

みんな母の日って知ってるかな?自分の母にカーネーションを贈ってみたり、ちょっと照れながらお礼の言葉や手紙を渡したりする日の事だぁね。何を贈ったとしても贈りそこなったとしても…それはきっと素敵な一日に違いないだろう。母の日ってのはそういう一日。我々人間は誰しもが必ず「母」から生まれ、今日を迎えている。

…理由は様々数有れど…母と別れなければならなくなった人々の中には「母の日」が嫌いな人もいる。渡したいカーネーションを受け取ってくれる母はなく、そもそも想い出の中にいるのかどうかすら良く分からない。受け取って欲しい人へはもはや届かない…ただただ悲しい一日だ。
…そんな悲喜交々の「母の日」。出来たきっかけを知ってるかい?

米国の小さな田舎町。大切な自分の母を無くした子が、白いカーネーションを渡しながら我が母への感謝を綴ったのが由来だそうな。そして月日は流れ…我が国日本へと母の日はやってきたのであった。

もはや届かない母へ宛てたメッセージ。それこそが「母の日」の本当の意味。

あなたが届けられないと思っているものは、あなただからこそ届けられるものなのかもしれないよ?

素敵な講演会を有難うございました!

NPO法人「Live on (リヴオン)」代表の尾角光美さんの講演にて