題名そのまま。水曜日の夜にジブリの新作アニメ映画「風立ちぬ」を観てきた。
興行収入的には素晴らしいスタートを切っているというニュースを目にしたりするが、多分普通の子供達にはあんまり楽しくないアニメ映画なのではないかしら?という気もする。少なくともかつてガキだった小学生の頃の俺には無理っぽいなこりゃ。
この「風立ちぬ」という映画、文学小説としての「風立ちぬ」と「零戦設計者」の話がある意味ごちゃ混ぜになっているのが味噌だったりしてまして、だからこそ大人には深く…子供にはちと早い系の映画なのかも。
俺は一応エンジニアの端くれなので…「設計屋」として映画の中に飛び込ませて頂いた。
…設計屋ってのはいつも何かに縛られているもんだ。全てを無条件に好きなように設計できる機会なんてまず無いだろう。この物語の主人公も結構自由に見えて凄まじい制限の中で設計を進めて行く。
時折その制限を噛みしめるように…そして忘れ去るように…そしてもう一度思い出すように振る舞う仲間がいる。
そして彼らが生み出した美しい飛行機は…美しい国をすぐに作る事は出来なかった。
そもそも彼らは美しい国を作ろうとしたんじゃない。美しい飛行機を作ろうとした。
…設計屋ってのは、実は表と裏が有りまくる存在なのではないか?と思う時がある。そして…
政治家ってのは…表と裏がそもそもあるのか?と思ったりもする。