会津の秋はもうすぐ… ~変わらぬ美しさと、変わらぬ日常と…編~

「猪苗代湖方面から望む磐梯山」

 ~猪苗代湖方面から望む磐梯山~

「朝のライダーハウス風来坊」「7号船」

昨夜の盛り上がりの後は、各自持参の寝袋で爆睡しまして…

今日もいい天気なのでありますっ! (喜)

明るくなって改めて見直すと、自家用車も多いがバイクもやたらと多い今朝の「ライダーハウス風来坊」。

こちらの宿の本来の姿は飾らないペンション?だったりするので、この冬はワカサギ釣りに伺ってみたいと思ってます。スノーモービルの後ろに乗ってみたいってのもあるしネ。

本来ならば美人女将さんに挨拶なしでは出発出来ない場面ではあったんだが…俺のバイクが後ろの出入り口を塞いだような状態になっていたので、ライダーハウス風来坊から最初にさようなら。皆さん元気でね!

「朝靄の上を行く磐梯吾妻スカイライン」

そんな訳で、早朝の磐梯吾妻スカイラインの途中はこんな感じ。朝靄の上を走れる爽快感!(正直言って、写真を撮るにはちと厳しい…)

「浄土平」「玉こんにゃくに玉子」

「果汁100% 桃の恵みジュース」「焼よもぎだんご」

浄土平で休憩がてらあれこれ(玉こん・ゆで玉子・桃ジュース・よもぎだんご等)をパクつきまして…

「バイク用リアカー?」バイク用のスタイリッシュなリアカーに熱視線を送ったりして…(これいいっ!)浄土平を後にしたのでありました。

【福島県猪苗代町】 Hero'S DINER(ヒーローズ ダイナー) 「秋茄子のラー油仕立てバーガーセット」【福島県猪苗代町】 Hero'S DINER(ヒーローズ ダイナー) 店構え

会津若松で何か食べようとも思ったんだが時間の関係&興味を持った事もあって、猪苗代湖の湖畔近くの県道7号線沿いにある「Hero’S DINER(ヒーローズ ダイナー)」の巨大ハンバーガーを頂きにやって来た。

そもそもがハーレー関連のバイクショップ?という事もあり、店内外の雰囲気はもちろんお客さんもそっち系な方多し。ま、怖い方々な訳ではないんで皆様お気になさらずに(笑)

上手い事停まっているバイクを外して撮った店構えの写真も…実はあっという間にバイクで埋まったのでありました。

どれもみな旨そうだったんですが…月替わりの一品「秋茄子のラー油仕立てバーガー」ってのにピンときたのでこちらを注文。

待つ事5分程でやって来たのは直径12cm近い巨大バーガーっ!(喜)

いやぁ…確かにデカイ。それでは頂きま~す!

こいつは旨いっ!

何と言ってもバンズのフカフカ感が新食感。何と言えばいいんだろう…フランスパンのカリカリな外側とクロワッサンの内側を合体させたような食感。全然大味じゃぁありません。秋茄子にかじり付きながら外を眺めていると、何やら古いハーレーにおっさんが乗ってやって来た。ハーレー乗りってのは変わった奴が多いよなぁ…等と思いながらアイスコーヒーを飲んで外に出たところ人集りが…。さっきおっさんが乗ってきたバイクだよね。どれどれ…

「普通に走ってやって来た陸王」え゛~っ!「陸王」に普通に乗るってかっ?しかもドカヘルで…(爆)

まったく…いつまでも夏の陽気だと世の中おかしな奴だらけになっちまうから、とっとと秋になっておくれよ(笑)

この後はひたすら国道49号を東に向かい、郡山から国道288号を更に東へ。

徐々に人々の生活臭が薄れていく中、大熊町・双葉町方面へ向かう道路は封鎖され、相も変わらず国道399号への迂回を強いられた。

…今も変わらぬ光景がここにはある…

ただでさえ賑やかさとは程遠かった国道399号沿いではあるが、徐々に人々の姿が戻ってきているのも確かだ。ある方は軒先の土をこそぎ落とし、ある方は荒れ果てた畑の手入れをし、ある方は押し車の上に座ってじっと畑の方を見つめていた。

…みんなお歳を召した方ばっかりだ…

そんな中、震災の後一度来てみた時は閉鎖されていた川内村にある草野心平ゆかりの「天山文庫」は再開されていた(実際は施錠された直後だったんだが)。

麓の阿武隈民芸館を見学し終えたところで施設を管理されているお二方としばし雑談。鍵開けましょうか?と言われたりもしたが、また来ますから…という事で。そう言う事なら来週にでも来ますから(笑)

「見た感じ、川内村のお店は結構再開しましたよね?」と聞いてみた所、「食料品を売っているお店が近くになくってねぇ…」との事だった。まだまだ普通に暮らすまでには至っていない様子だった。

それから何の前触れもなく突然お葬式の花輪が家の前に飾られてしまうのが辛いとの事。多くの方々がそれぞれ遠くへ避難している関係で、人の気配の全くしない家に突然花輪が飾られてしまうのだそうだ。

…こんな感じに、ちょっと色々考えながら川内村を後にしたのでありました。

俺にとって国道399号という道は、かの震災がやってくるまでは仙台方面からツーリングで帰ってくる時に走るクソつまらない下道の代表格だった。それが今回の事故により、色々と考えてしまう道になってしまっている。走る度に辛くなったり、悲しくなったり、頭にきたりする訳の分からない道。

だからこれからも走るだろう。走ってみたところで何にも変わらないにしても…

2012_09_16_ルート

こちらは今日のGPSログ。いつになったらこの軌跡が変わるのだろうか。

「新潟の美術家たち展Ⅱ~復活!国道252号~ライダーハウス風来坊」編

「夕暮れ時の檜原湖」

~夕暮れ時の裏磐梯 檜原湖にて~

本来なら今週末こそは仕事上のとある案件を進める日だったのだが…またしても延期に。そんな訳で新潟県南魚沼市で開かれている「新潟の美術家たち展Ⅱ」(2012年9月14日(金)~10月2日(火))に急遽向かう事にした。

何でまた絵心のない俺みたいな奴が遠路遙々この展覧会に向かうのかと言いますと…かつての大学時代のオーケストラで一つ下の代のコンサートマスターをやっていた奴が組写真を出展すると聞いたから。

で…何やら「午前中は会場にいます」という俺宛なのか何なのか良く分からないメッセージがあったので朝7時過ぎに日立を出発。常磐道~北関東道~関越道を乗り継いで、新潟県の六日町ICに到着したのが10時過ぎ。秋の?三連休初日という事もあって交通量自体は多めだったが、ほとんど渋滞とは逆方向に走っていた関係で目立った渋滞に遭遇する事なく到着できたのでありました。天気も良いし、いい気分だったよ。

南魚沼・魚沼ってのは皆さんご存じだと思うがコシヒカリの一大産地でありまして、国道17号を走っていると、黄金色に輝く広大な水田でお米の収穫を始められている農家の方々の姿があちらこちらに(写真撮っとけば良かったなぁ…)。そろそろ新米の季節ですなぁ(喜)

「浦佐駅前 田中角栄の像」今回の展覧会の会場「池田記念美術館」の最寄り駅、浦佐駅前のセブンイレブンでちと休憩していたら、目の前に「日本列島改造論」&ダミ声で有名な「田中角栄」の像が。像にも雨避けの傘?が用意されているあたりが地元の支持率の高さっぷりを物語る。

ただ…もしも故 田中角栄氏が今の世に生きていたら、どういう未来を語るのかってのには興味があるな。長いあいだ閉塞感ばかりが漂う日本において、強烈なパワーをもってこの国の道筋を「一つだけ」示してくれるであろう事だけは確かな気がするよ。

あのダミ声でね!(俺、嫌いじゃないんだよ)

「新潟の芸術家たち展Ⅱ 大学オケ時代の一つ下の代のコンサートマスター」そしていよいよ新潟の美術家たち展Ⅱの会場である池田記念美術館へ。入館するとカメラマンベストを羽織った見覚えのある顔が立っていた。

いやぁ…15年ぶりかっ!?翔子っ!(←当時のあだ名)

俺とコイツの関係は先にも書いたが…大学時代のオーケストラで一緒だった間柄。俺の一学年下のコンサートマスター(オケを代表するバイオリンの一番偉い存在で、演奏後指揮者と最初に握手する人と言えば分かるかな?)だった人物。

俺は一学年上で同じ学生オーケストラの部長だった関係も有り、当時あれこれ話をする機会も多かったんだよな。あぁ…100人近い学生オーケストラをまとめるのはクソ面倒だったよ…とあれこれ言いたいところではあるが…このネタは別の機会にでも。

そして…あれから15年後のコンマス(コンサートマスターの略)は、見事にプロカメラマンになっていたのであった。

主に舞台カメラマン(音楽関係)として活躍しているそうでして、今回の組写真はモンゴルの首都ウランバートルで行われた民俗音楽コンクールで初めて写真撮影が行われた時のもの。もちろん撮影者は元コンマスだ。

胡弓のような弓で引く弦楽器(何と2弦!)に横笛、サックスと同じ構造のシングルリードの楽器(音も似ているそうだ)がモンゴルの民俗楽器の代表格だそうな。

【新潟県魚沼市】 そば処 薬師 「天ざる大盛」【新潟県魚沼市】 そば処 薬師 店構え

ウランバートルでの暮らしぶりやら何やらを元コンマスお勧めの蕎麦屋で蕎麦を頂きながら聞いたりなんかして過ごしたのでありました。昔の話だけでなく、これからの色々な話もしたんだが…ま、好きになった相手がウランバートルにいるんだったら、あれこれ難しく考える必要はないと思うよ。

面倒くせぇ!ウランバートルに行っちまえっ!(笑)

好きになってからあれこれ考えるってのは悪くないと思うな。逆よりも余程いい。

「大水害により壊れてしまった只見線の橋」この後は国道252号経由で磐梯方面へ! いやぁ…この道が復活してないととんでもなく遠回り(新潟市街経由)をするしかないから助かったよ。

(注)国道252号は9/25~10/8まで通行止め予告看板有り!最新の情報を確認願います!

 途中、昨年の大水害で流されてしまった只見線の橋を眺めて少々凹んだり…

「大水害により壊れてしまった只見川に掛かっていた橋」

これまた只見川に掛かっていた橋が完全に崩落している光景にさらに凹んだりしまして…

【福島県柳津町】 「つきみが丘町民センター(日帰り温泉)」福島県柳津町にあった「つきみが丘町民センター」で塩辛い温泉に浸かって復活したのでありました。ここ柳津町ってのは「赤べこ発祥の地」だそうな。それにしても世の中切ない光景が多すぎるよなぁ。。。

この後は夕暮れ模様の磐梯山ゴールドラインを突っ走って夕暮れギリギリの檜原湖へ。冒頭の写真がそうです。焼けなかったものの、透明感のある素晴らしい光景を眺める事が出来ました。写真の出来はともかくとして…美しかった。

「バイク野郎は地図がお好き」そんな訳で、今夜は以前一度お世話になった事のある「ライダーハウス風来坊」(裏磐梯の超リゾート地にありながら、一泊何と500円なのですっ!)に宿泊。

風来坊の正面エリアでは10人位のツーリングクラブの方々がバーベキューをやってました。そういうのも有りなんですね。なるほどなるほど。。。

そして写真は今夜お世話になった7号船?の様子。バイクツーリング野郎が俺も入れて3人泊まる事になりまして、俺達にしてみりゃ当然の光景なんですが…酒が入ってくると皆地図を開いて…「ここだ!あそこだ!」が始まりますです(笑)ちなみにこちらは確か、明日のバイク雑誌主催のミーティング会場を説明していた時の写真。

実はこのお二方&俺、日本中を相当走りまくっている方々でありまして…あらかたの端っこにはすでに行った事のある3人が揃ったのでありました。お互いに巡った場所の何を振っても「あぁ…あそこは○×…」という展開になる中、一番笑ってしまったのがこちら。

~四国最西端に位置する「佐田岬」に話題が及んだ時の事~

Aさん  「佐田岬の先っぽに行ったんだけど…結局駐車場で寝たんだだよ。怖くってねぇ。」

Bさん 「あのキャンプ場へは荷物を持って行ったんですが…怖くて結局駐車場に寝ました」

俺   「…えっ。右端にある駐車場ですか?俺もあのキャンプ場は怖かったので駐車場に…」

(一同) 「結局みんな同じ駐車場に泊まったのかよっ!」(爆)

いやぁ…夜に一人で行けば分かると思うんだが、佐田岬のキャンプ場って魔方陣の真ん中にいるような気分になるので一人じゃキャンプする気にならないんだよ(笑)

こんな感じにバイク乗りならではの、あれこれ楽しい話の進んだ夜なのでありました。

「ライダーハウス風来坊にて今宵のお仲間」

珍しく記念写真を撮ったので御紹介。

左から「香取ライダー」・「日立ライダー」・「八王子ライダー」です。

写真は傾いてますが(笑)「ライダーハウス風来坊」での素敵な一夜に感謝です!

2012_09_15_ルート

今日のGPSログはこちら。

国道252号が走れたので相当近道出来たんだけど…走りすぎ(笑)

1年半

週末のブログの更新がまだまったく手付かずなんだが…こちらの話を先に。

今日9月11日はアメリカ同時多発テロから11年、東日本大震災からちょうど1年半という日。東日本大震災の事を考えると…1年半という時間は長くもあり、そして短くもある。

この1年半という長い時間によって、俺も含めて人々の心に徐々にではあるが余裕が出来てきたのは確かな事だ。全てが元通りというわけではないが、もうあの震災の何かを引きずって毎日暮らしている方はそう多くはないだろう。

今皆が気になるのは…今年の秋刀魚の脂の乗り具合やら最近封切られた映画の良し悪しに、今度の三連休のお天気は?という微笑ましいものなんじゃないのかな?平穏な日々の暮らしが戻ってきたのはもちろん素敵な事だ。

時間が解決してくれる…それは確かにそうなのかもしれない。

辛い事や悲しい事があっても、いつか時間が解決してくれる…確かにそう思えるし、そしてそう思う事が出来た人々にとって時間とはきっと味方。

 

今週末のツーリングで岩手県の大船渡から宮城県の石巻の海岸線を再び走った。1年半の間の沢山の方々の尽力により、幹線国道上ですら凄まじい土埃が舞うかつての姿はもうそこには無い。基礎部分を瓦礫が覆い隠していたかつての住宅街は綺麗に瓦礫が撤去され、基礎部分だけが残っている。そしてかつてガタガタだったり境界線の分からなかったりもした道路は本当に走りやすくなった。これは1年半という時間があったからこそ成し得たことだろう。だがしかし…

仮設住宅が色々な場所に出来上がってきた頃から…東北の太平洋沿岸部の街並みの変化はどういう訳か完全に止まってしまった。

集積場にうず高く積まれている瓦礫の高さは高く低くと変わったりもしたが、その悲しい街並みは未だ全く変わっていない…本当に何も進んでいないんだよ。その理由は今の政治故なのかもしれないし、高台に土地が無いというもっと根本的な問題故なのかもしれない。理由は正直言って俺には分からない。

ただ…この地に暮らしていた方々にとって恐らくこの1年半という時間は味方ではなかっただろう。この地に住んでいた方々にとって時間というのは味方どころか憎むべき存在ですらあるのかもしれない。1年半も経ったのに何も変わらないじゃないか…と。だから神を信じる事を知らない俺ですら何かに祈りたくもなる…

頼むから時間を止めないでくれっ!