秋田ツーリング後半戦 ~冬が来る前に…東北の太平洋沿岸を…編~

「奇跡の一本松」

~陸前高田の奇跡の一本松~

正直言って今日は終日雨だと思っていたので、たらふく飲んでのんびり起きたら…

…雨降ってねぇじゃん!(喜&涙)

秋田のビジネスホテルのネバネバ系朝食そんな訳で急いで荷物を積み込んで走り出したと言いたいところだが…のんびり朝飯を頂いて(秋田の朝食はネバネバ系食材だらけだったな)、お茶を頂きながら…

新聞の地方欄の「能代ロケット実験場特別公開」の報道具合をチェックする俺(あのなぁ…)

地方欄をジロジロと眺めていたら、知らない方がいい情報も沢山あった。「秋田ビアフェス 2012」なる地ビールの催しが昨日大盛況だったらしく…何と今日も行われるらしい。

行きたいけど…今日帰るバイク乗りの俺が行ける訳ねぇよ…あぁ…(涙)

今日の過ごし方としては秋田をのんびり巡って高速使って一気に帰るってのも選択肢の1つとしてあったんだが…この微妙な空模様だと早めに南下してしまった方が良さそうなので秋田道で一路東北道方面へ。

途中、絶対に雨に降られるだろうと思っていた秋田&岩手県境でも雨に降られる事無く、B級グルメの焼きそばで有名な横手市でも晴れ間が広がるという予想外の展開!ほんとに雨が一滴も降っていないのよっ!

この後は水沢ICで東北道と別れを告げ、国道397を時折休憩を挟みながら東へ進んで大船渡の沿岸部まであと少しの地点で…何故か突然「使徒」がやってきた。

「エヴァンゲリオン風味な道路工事標識」道端にエヴァンゲリオン風味な道路工事標識が…。誰だよこれ作った奴っ!(爆)

一気に「現場」まで行ってしまおうかとも思ったが、三陸鉄道南リアス線の北端の駅「盛駅」ってのがちと気になったので立ち寄ります。

「三陸鉄道南リアス線 盛駅」お隣のJR大船渡線も震災の影響で運休中という事もあり閑散としていると思ったら、なにやらお祭り的なイベントが行われていたので結構賑やかだった。

「三陸鉄道南リアス線 盛駅にて」駅に停めてある車両を見学してみたり、フランクフルトを頂いたりなんかして海岸線へ。

「バイク始動不能&立ちゴケした思い出のガソリンスタンド」現場です…俺のバイクはこのガソリンスタンドで始動不能に陥り…立ちゴケしました…(涙)

冗談はさておき、「2011・3・11 津波到達ライン」と屋根に書かれているのが分かるだろうか?信じられるか?ここまで波が来たんだぜ。

「俺的コクリコ坂から」何なんだこの写真はっ!と思われるかもだが、この小料理屋さんの駐車場の坂道で俺のボロバイクは息を吹き返したのであった。俺にとっては思い出の坂。写真左の坂でエンジン掛かったのよ!

「この坂をコクリコ坂と名付けてくれっ&ついでに世界遺産登録を!」(無理)

大船渡も大きな被害を受けた地域ではあるが…幸いな事に高台が多い地形だった事もありバラック形式の店舗が多数営業を再開しているのが印象的。

この後は冒頭の写真、「奇跡の一本松」で有名な陸前高田市へ。かつては広大な瓦礫の街だったこの大平野だが…目立った瓦礫はもう無い。

そして奇跡の一本松以外、今はもう何もないままだ。一軒のガソリンスタンドが復旧した位しか前回との違いが俺には見いだせないのが微妙なところでもある。しかもこれを書いている最中、この奇跡の一本松も保存の為とはいえ一旦伐採されてしまったそうだ。

「陸に押し流された気仙沼の大型漁船」陸前高田を後にして、リアス式海岸を縫うように走る国道45号線をひたすら南下。気仙沼の北の入り口では今も陸に打ち上げられた大型漁船の姿が道沿いに存在する。船と海とを隔てる真新しい道路と電柱と信号機の存在が、ここに住む人々の決意を物語っているように思う。

【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 あたみ屋 「ネギらーめん」【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 あたみ屋 店構え

気仙沼でかなり遅めの昼飯を。復興屋台村で海鮮丼でも…と思ったら、軒並み仕込み中だったので「あたみ屋」さんでネギらーめんを頂いたのでありました。辛いものを食べるとすぐに汗だくになる俺という事を知ってか知らずかあれこれ心配して下さった女将さん、ご馳走様でした!また来ますよっ!

その後は上下左右にくねくねと進む国道45号線を走りながら…海沿いはもちろん、高台ですら住宅の基礎部分ばかりが広がる光景を目にしながら思う。何でここにわざわざ俺は足を運んでいるのか…と。

見ないで済むなら見ない方が幸せな光景っていうのはもしかしたらあるんじゃないのか…

「南三陸町の商店街」

そしてこちらも被害の大きかった南三陸町の入り口にやってきた。沢山の旗が掲げられた仮設商店街があったので小休止。

「南三陸町の商店街 たこ焼き」「南三陸町の商店街(たこ焼き屋さん)」

 「橋脚だけになってしまった国道45号線」

橋脚部分しか残っていない本来の国道45号を眺めながら「多幸のたこ焼きネギマヨスペシャル」を頬張る俺。

「よみがえれ故郷 ふんばれ 南三陸町」南三陸町の中心部では、辛うじて残った鉄骨の建物で沢山の外国人ボランティアの方々が汗を流していた。皆さん本当にありがとう。故郷はきっと誰にとっても大切な場所だ。

ふんばれ南三陸町!

日没までに女川に辿り着けるのでは?と思っていたんだが…豪快に道を間違えた関係で女川町地域医療センター(旧女川町立病院)の駐車場に辿り着いたらすでに真っ暗。

そんな訳で残念ながら写真は無いが、こちらも街並み自体はほとんど変わっていない印象だ。でも秋刀魚の水揚げが始まったという明るいニュースも耳にしている。また来るよ!

「石巻市街にある3D漫画像」そんなこんなで、もはや夜と呼んでしまっても良い19時に石巻に到着。石ノ森萬画館は再開の工事が始まってた。そして商店街のヒーロー像に「よく残ってたなぁ…」などと呟いてみたりなんかして、ここからは高速使ってバキューンと家まで帰ったのでありました。

2012_09_09_ルート今日のGPSログはこちら。随分と縦に長いなこりゃ(笑)

 

やっぱりGWは東北へっ! ~女川・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡でまさかの…編~

「南三陸町の桜」

御番所山で迎えた朝はいい天気。ま、トイレも水道も使えない場所ではあったが、お隣の学生さんと共に爽やかな朝を迎えることが出来たのであった。

「俺と若者のテント」「御番所山から眺める朝の風景」

牡鹿半島の突端に突き出した太平洋側の御番所山からの眺めは素晴らしかったが、写真に撮ってみると今イチだったりするので小さめのサイズで(笑)

俺はこのまま北上するつもりなんだが、学生さんは西の方に位置する田代島に沢山いると言う猫を見に行ってみたいので船に乗るつもりだと言っている。多分、鮎川港から船で渡ると思うんだが…まともに運航しているのだろうか?昨日の夕方通りがかった時には運休の雰囲気を感じたりもしたんだけれど…あえてその事は伝えずに、一足お先に俺は出発。

バイク乗りの若者よ…自分の目で確かめてこいっ!

もちろん俺達バイク乗りも旅先で色々と情報交換をしたりする。「あそこは良かった!」とか「あそこは今イチだった」とか。教えてもらった情報で思いがけない場所に辿り着ける事も多かったりするが、自分が行こうと決めた場所には自分の足で実際に向かってみるのが一番だ。旅に効率を求めてしまうのはある意味勿体ない事だと思うよ。

もしも今回辿り着けなかったのなら…また来ればいいだけの事。ただそれだけだろ?

そんなこんなで若者と別れた俺は牡鹿半島の県道を駆け抜けて一路女川へ向けてひた走ります。リアス式海岸の南側の入り口という事もあって、海沿いではあるが結構な高所を進んで行く。

実は昨日も感じたんだが…走っていて去年の光景と違うと感じるのは、仮設住宅が高台の小さなスペースに沢山出来上がっているという事。それはもちろんあの頃の状況を考えれば喜ばしい事なのだとは思うのだが…その数は10箇所や20箇所なんぞという話では無い。そしてそのどれもが公共交通機関とは接続出来ていないであろう場所に立地していて、自由に外と行き来するには自家用車や臨時バスなどの手段を使っても相当な時間を要するであろう場所に立地している。そこに暮らす方々にはお歳を召された方も多いであろう事を考えると…正直複雑な気持ちになる。

「女川の街並み」写真は女川原子力発電所の脇を通り抜け、去年もK氏と一緒にやって来た女川医療センターの駐車場から見る女川の街並み。あんまり変わっていないようにも思えるが、瓦礫はさらに片付けられ、桟橋までの道も整備されている。それに何と言っても女川漁港の近くにある製氷工場が操業を再開しているという事は、漁が再開した事を物語っている。この街は少しずつではあるが、着実に前に進んでいる事を感じた。

「女川医療センター おちゃっこクラブ」そうそう、女川医療センターの駐車場には「おちゃっこクラブ」なるカフェ?も出来ていた。どうやら高台にあるこの病院を起点に街の再生を図る予定らしい。「女川カレー」に心を引かれたのだが、ちと早すぎる時間という事で今回は断念。

…また来ます!(約束)

この後は間違えて小冨士山のまわりをぐるっと廻ってみたりしつつ、さらに北上して南三陸町へ。

「南三陸町 神割崎」南三陸町も津波の被害が多かった場所であるが、元々厳しい自然環境であるが故に出来上がっている観光名所は当然の事ながら今日も健在だ。神割崎も見事に真っ二つ。是非実際に足を運んで見てみて頂きたい光景だ。

そうそう、神割崎のオートキャンプ場には仮設住宅が建てられているので、夏休みに利用予定の方は問い合わせをしてみた方が良さそうだね。

そして…冒頭の写真は南三陸町の北のはずれで見掛けた桜。もはやスクラップと化しているクルマがうず高く積まれている向こう側にも、震災後二度目の春は変わらずにやってきている…

「気仙沼 復興屋台村」その後さらに北上を続けて気仙沼へ。上の写真はNHKの番組で悪戦苦闘の立ち上げの様子を拝見した事も有り是非来てみたかった「気仙沼 復興屋台村」。ちょうど昼時に到着した事もありまして、沢山のお客さんで賑わっていました。

【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 気仙沼横丁 大漁丸 店構え【宮城県気仙沼市】 復興屋台村 気仙沼横丁 大漁丸 「生ウニ入り海鮮丼」

今日の昼飯は「気仙沼 復興屋台村」の「大漁丸」で「生ウニ入り海鮮丼」を。お値段高めだったけれども…俺はそれを喰いに来たんだから文句は無い。同じ太平洋沿いの海に生きる一員として加勢に来たんだしね(笑)気仙沼の皆さん、共に頑張っていきましょう!

「陸前高田市 奇跡の一本松」気仙沼で昼飯を頂いた後は、さらに北上して陸前高田市へ。残念ながら枯れるのを待つ状態になってしまっているらしい奇跡の一本松。今はしかし…雄々しく空に向かって一人立っている。

陸前高田市はリアス式の海岸線にあって平野が広がる住みやすい土地。それ故に被害も甚大で基礎部分だけが残る住宅街が今日も広がっている。

「陸前高田市 奇跡の一本松の後ろ側」実は「奇跡の一本松」のまわりは瓦礫置き場。去年よりも高さは低くなったが、今でも瓦礫置き場である事に変わりは無い。どちらかというと、こちらの方が現実である。

 

この後さらに北上して大船渡のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしたんだが…エンジンが掛からない。2速に入れて後ろに揺すって…をやると普通掛かるんだが…掛からない。。。げっ。。。バイクを何度も何度も前後に揺すっていたら…

何と…「立ちゴケ」しましたっ…(涙)

ガソリンスタンドの店員さん&近くの商店の店主さんに手伝ってもらってバイクを引き起こし、邪魔にならない所にバイクを移動して天を見上げる俺。

…さすがにこれは駄目かも…

実は4年程前からセルモーター(スターターモーター)の廻り方が怪しかった。初めて始動不能になったのは北海道の人っ子一人居ない場所だったなぁ。とにかくエンジンが掛かってくれないとどうにもならないので色々やっていていたらエンジンが何とか無事に掛かったのだった。

セルモーターのブラシが減っているのか何なのか…2速にぶち込んで少々後ろに揺すってモーターの回転軸を無理矢理ずらすと何とか廻ってくれたので騙し騙し乗り続けていたんだが…ホントの寿命が来たらしい。そう言えば奇跡の一本松を見た後の始動はギリギリだったからなぁ。。。

…これは帰るしか無いな…

エンジンが冷えると掛かる事もあるのでしばらく待ちます。。。で、スターターを廻してみるものの…

「カチッ(リレーの音だけが空しく響く…)」

こりゃ駄目だ。ガソリンスタンドの近くに緩やかな坂があったので、上までバイクを運んで押し掛けを試してみるものの…始動までは至らず。。。ゼェゼェ…

そうこうしていると、さっきのガソリンスタンドの店員さんが気遣って下さいまして…自分の車のバッテリーとボロバイクのバッテリーを直結して下さったんですが…やはりエンジン掛からず。

駄目だ…この後どうしよう…大船渡にバイクを置いて帰宅かぁ…(涙)

などと思っていたら、目の前の小料理屋に軽自動車が到着。…ん!?この小料理屋の駐車場の坂は押し掛けにぴったりなのでは!?もうここしか無いっ!

「お宅の坂を貸して下さいっ!」などという訳の分からないお願いに、お店の女将さんは笑顔でこう言って下さった。

「こんな坂で良かったらどうぞ。」と…

女将さんに丁重にお礼を言って、リアの荷物を全部降ろしてバイクを坂道を押して登ります。「どうしたの?エンジン掛からないの?壊れちゃったの?」という女将さんのお言葉の手前、どうせやるなら一発で決めなければなりません。坂の上までバイクを持ち上げた後、額の汗を拭って押し掛け?チャレンジ!

お借りした坂道で少々速度がついた所で3速に入れたまんまのクラッチを一気に繋いだ所…

ブブブ…ブォ~ン! エンジン掛かりましたっ!(喜&涙)

エンジンはもちろん掛けたまま、女将さんにお辞儀をしてリアの荷物を積み直しまして…日立のお家に戻ります…この後、下り坂以外ではエンジンは止められません。

2012_04_30_ルートガソリンスタンドで満タン給油直後に始動不能になった事も有り、あと400キロ程は走れそうだが…さすがに我が家まで400キロでは帰れないだろう。結局セルフのスタンドでエンジン掛けっぱなしで給油したり(スペアキーでガソリンタンクの蓋を開けました…)、何を血迷ったか最短距離を目指した様な仙台東道路ルートで南下してしまい、福島第一原子力発電所の立ち入り禁止区域にはじき返されて、結局…福島西ICから高速経由で帰宅したのが午前1時。大船渡からの帰宅路は電装系に問題があるかもという事で配線を全部外してしまったので、実はGPSログ手書きです(汗)

ま、何とか帰ってこられた事を素直に喜んで今夜は乾杯。中古で買ってある予備のセルモーターが鹿嶋にあるので明日交換してみよう。それでも駄目だったら…

「電車でGo!」 (お前…ちとポジティブ過ぎるだろ…)

やっぱりGWは東北へっ! ~南相馬・石巻・コバルトライン・御番所山で若者と…編~

「茂庭広瀬公園キャンプ場」茂庭広瀬公園キャンプ場で迎えた朝は…待望の五月晴っ!(喜)

爽やかな朝日の下、歯を磨いたり顔を洗ったあと、昨日の夜に到着した時にはすでに寝ておられた静岡から来られた白髪のバイク乗りの方と暫し話をしまして、お互いの安全を願いつつ…俺が先に出発です。それにしても初老の方がSS(スーパースポーツ)に乗っていて、少しは若い俺の方が殿様ポジションと呼ばれることもある乗りやすいネイキッドに乗っているってのは最近多い光景だよな(笑)

今日の最初の目的地は、日立さくらまつりに馬10頭を伴ってやって来てくれた相馬野馬追の会場のある南相馬市。茂庭から国道399号を南東方向に進みまして、伊達市~飯舘村の快走路県道12号を駆け抜けて南相馬市へ。

「南相馬市 相馬野馬追祭場」実は南相馬市へまともにやって来たのはこれが初めてなんだが、結構大きな街なんだな。写真は相馬野馬追のハイライトの一つでもある甲冑競馬が行われる相馬野馬追祭場。一周1キロ程の文字通り競馬場のような会場ではあるが、神旗争奪戦に勝利した者だけが馬を駆って駆け上る坂があったりするのが純粋な競馬場とはちと違う。7月かぁ…是非この目でその姿を見てみたいものだ。

【福島県南相馬市】 道の駅みなみそうま 「ミックスソフトクリーム」この後は「道の駅 みなみそうま」でツーリングマップルを眺めながらちと休憩。天気が良く暖かかったのでソフトクリームを頼んだら…どうやらお店の方、久々に作ったらしく「あぁぁぁぁ…」等と文字通り「あたふた」しながら出来上がったのがこちら。

「…大きくなってしまってスミマセン…」との事。

まぁ大きくなる分には文句も何もありませんのでお気になさらずに(笑)ちと大きめのソフトクリームを舐めながら行き先を考えます。まぁ…海岸線を北上するしかないだろうな。

「福島県新地町の沿岸部」

南相馬市から相馬市へ、そして新地町の海岸線には住宅の基礎部分だけが残った荒涼たる光景が今日も広がっている。ここに住んでいた方々が、かつての我が家の建っていた場所に幾人も訪れていた情景が心に残る。

この後も北上を続けまして…仙台空港の横を抜け、観光地としての賑わいと共に渋滞も復活した松島を何とかすり抜けでやり過ごして石巻市街へ。去年の秋頃、ゲストハウス梅鉢で出会ったバイク乗りK氏と一緒に来た時には信号機の全く機能していなかった市街地中心部にも新しい信号機が設置されていて、街自体は平穏を取り戻しつつあるように思う。海沿いの日和大橋近くにうず高く積まれていた瓦礫の山も低くなっている。

「石ノ森萬画館」

石巻の旧北上川中州に位置する石ノ森萬画館は今も臨時休館中だが、再開目指して準備中。そう言えば、被災地の空にはどこも色鮮やかな鯉のぼりが泳いでいたのが印象的。去年のGWの頃の「色」が全く消えてしまった街とは違うよな。賑やかさこそないけれど…そこに生きる方々の確かな歩みが垣間見えてくる。

そろそろ夕刻となってきたので、今夜の寝床を考えつつ進まねば。ツーリングマップルを眺めながらちと検討。そうだなぁ…石巻と女川の間に突き出た牡鹿半島のどこかにいい場所がありそうな気がするな。この先のイオン(旧ジャスコ)で晩飯の材料を買って行ってみますかね。

~イオン石巻東店でお買い物~

本来であれば牡鹿半島の突端まで行けるコバルトラインは、残念ながら震災の影響で1/3程しか走る事が出来ない&道路の状況が非常に悪いままなのでバイクの方は暗くなってから走るのは止めておいた方が良さそうだ。ただ、牡鹿半島の沿岸部を突端まで繋ぐ県道2号線は修繕されているので、牡鹿半島の先っぽまで行く事自体は出来た。軽くゲリラキャンプの場所を探してみると…御番所山にある御番所公園に素晴らしい空間を発見!今夜はここに決まりでしょう!ってな訳で…ゲリラキャンプ開始。

「御番所山にて晩飯」屋根付き&風除け付きの空間にテントを立てて晩酌&晩飯開始。今晩は宮城県に乾杯だっ!

~それではしばしご歓談…では無く、一人で晩酌タイム開始~

明日はどう廻るかなぁ…とツーリングマップルを眺めながら酒を飲んでいたところ…夜の10時を廻ったところで近くにバイクのエンジン音が。あらら…お巡りさんとかじゃないよねぇ?面倒な事になって欲しくないんだが。。。と思っていたらテントの外から声を掛けられた。

「あの、隣にテント張ってもいいですか?」

まさかまさかの「お仲間」キターーっ!(喜)

何とこんな時間のこんな場所に、キャンプツーリングなバイク仲間がやって来たのであった(爆)テントを張ろうとされているので、自前のランタンをテントの外に出してちとアシスト。でもこの方、何となく格好が変わっている。何でバイクでユニクロのダウンジャケットみたいなの着てるんだ?

お互いに思いがけないお客さん?なので、ほぼ360度を海に囲まれた高台で自然に話が始まった。まずは互いの出発地点の話から。俺は水戸(日立と言うよりは通りが良いので旅先ではこう言うことにしている)からだと言うと、何とこの方、栃木県から来た大学生さんだそうな。

えっ?栃木県?場所は?ほうほう…栃木市ですか。俺は茨城県日立市からだよ。GWはどういう風に走る予定なの?

明日の朝には授業の関係で栃木に帰らないといけないだって!?(驚)

どうやら農学部の学生さんらしく、カレンダーでは平日の5/1&5/2に授業がある関係で明日帰らなければならないらしい。しかも出発したのは今朝だそうだ。

何っ!バイクの免許取って1ヶ月で高速が怖いから栃木から全部下道で来ただと?(爆)

何だか笑っちまう若者だが、俺の若い頃もそんな感じだったな(笑)なるほど、だったらユニクロのダウンジャケット姿なのも頷ける。

夜霧の出てきた冷える夜という事も有り、互いのテントに潜り込んでテント越しに会話再開。ツーリングでは何を持っていた方が良いのかとか、行ってみて良かった場所は何処かとか…とにかく色々聞かれた夜となったのであった。

いやぁ…実に楽しいっ!

彼と話をしていて感じたことがある。キャンプツーリングと言えば聞こえは良いが…俺達のやっていることは要するに「野宿」なのである。何でこうなったかというと…金は無いけど行きたいところには行ってみたいという単純な動機。俺も最初は原チャリで、寝袋と銀マットを持ってバス停やら地下道やらで寝ていたよ。物価の安い海外に行って…なんて発想は当時無かった(飛行機に乗るまとまった金なんてそもそもある訳がない)ので、もちろん我が国日本でやる訳だ。

色々な旅の形があってしかるべきだとは思うが…バイクで野宿が出来ると旅の選択肢が格段に広がるのも確か。行けない場所というのは国内に関して言えば人が住んでいる場所であれば殆ど無くなるし、何かと混んでいるGWであったとしても宿の予約やら何やらで行き先が縛られることもほぼ無くなる。行きたいところに文字通り向かって行って、その場で自力で何とかすればいいだけの話だ。

この若者はきっと、仮に将来金持ちになっても野宿するんじゃないかな?この感覚は一度味わうとやめられなくなるんだよね。

もちろん「野宿の魅力」を味わうこと無く過ごす方のほうが圧倒的に多い&俺みたいな奴が野宿の素晴らしさををこのブログで一生懸命説いて薦めてみても実際に野宿を始める奴はまず居ないので、全国各地の宿泊施設の方々に経済的な迷惑を掛けることは無いだろうけど(笑)

それにしてもいい夜になった。有り難う若者よ。

若者よ、事故にだけは気をつけて…お互い走りまくろうぜっ!

2012_04_29_ルート今日のGPSログはこちら。沿岸部の光景はやはり辛いものがあったりしたが、確かな一歩を実感出来たのも確かだな。