~記録の無い区間(大船渡からの帰還)もあるが、GPSログを繋げてみました~
大きな荷物をバイクに積んで走っていると…物珍しさからなのか…それとも聞いてみたくなるものなのか…「兄ちゃん、どこから来たんだね?」とか「これからどこ行くの?」などと見知らぬ方から声を掛けられる事が非常に多い。
後者の質問は朝だったりすると全く行き先を決めていなかったりするので、頭をかいて自分自身悩んだりする事もあったりするんだが…ま、この話はまたの機会にでも。
どこから来たの?と訪ねられると、茨城県内で無い限りは「水戸からです!」と言う事にしている。水戸自体の場所を誰もが具体的に知っているとは思ってはいないが、水戸黄門の名前の通りが良い事もあって、誰もが皆「おぉ…水戸からですか。」と言ってくれるものである。
俺が実際に住んでいるのは水戸から25キロ程北東にある日立市だったりするのではあるが、別に正確な場所を求められている訳でも無いので…まぁこの説明でいいんじゃないかな?と応える度に思ったりしている。
ただ、キャンプ場やら時には飲み屋などでもう少し突っ込んだ事を聞かれる事がある。「生まれは何処ですか?」と。これについて答えるのはさほど難しくは無い。生まれた場所なんてものは当然一箇所しかないので「大分県竹田市です」と答える訳だ。
さらに盛り上がってくると…「故郷の見所とか名物とかって何がありますか?」などと聞かれる事がある。実はこれを聞かれると少々ナーバスになる。別に茨城に見所とか名物が無いと言う意味では無い。ただ、今住んでいる日立市だけでなく水戸や鹿嶋、そして茨城県自体は俺の故郷と呼べる場所では無いだろう。
…俺の故郷って…そもそも一体何処なんだ?
生まれた場所は一箇所だが、育った場所は転勤族の父親と一緒にあちらこちらを巡っていた関係もあっててんでばらばら。当然の事ながら歌った校歌の数もやたらと多い。俺自身が一人暮らしを始め、自分の事情で引っ越しを繰り返している間も父親達は転勤生活を続けていて…結局縁もゆかりも無い場所が帰省先という形に今現在なっている。
俺にはそもそも故郷なんて存在しないんじゃないのか?という漠然とした不安な気持ちは以前から抱いていたんだが…かの震災後…東北に足を運ぶ度に自分自身に対して感じる不安は一年を経過した今も変わっていない。
俺に…故郷を愛する方々の気持ちを理解する事などそもそも出来るのだろうか?と。
原子力発電所の事故周辺地域だけでなく、故郷を失った方々は沿岸地域を中心に沢山いらっしゃる。その光景を…TVで…新聞で…ラジオで…そしてこの目で見た時に俺が抱く感情は、はたして故郷を持っている人々と同じものなのであろうか?正直…不安である。
実を言うと…普段見知らぬ場所で毎日変わらぬ生活を送り続けている方々の暮らしぶりに感動し、その感動を利用して自らの生活には変化を求める姿は果たして正しい有り方なのだろうか?とも時に思ったりもする…。詰まる所、都市型人間のいやらしさというか何というか…
~あんまり考えすぎるとバイク乗りではなく哲学者モドキになってしまうのでこの辺で~
…ちと色々と考えすぎたので…気晴らしも兼ねてGWのツーリングで濡れたまんまのテントを干しに、またツーリングに行かないといけませんなぁ。そしてそのツーリング先できっとまた聞かれるのです。
「兄ちゃん、どこから来たんだね?」