「あみん」の「待つわ」でちと考える…

ツイッターでネタを目にして思い出したように聴いている「あみん」の「待つわ」でふと思ったんだが…

俺達はそもそも身分相応…というか自らの理解出来る範囲で効率化やら時間短縮やら何やらを進められているんだろうか?

俺自身はかつての専門だったLSIの設計専門の頃のように時間に対してカツカツでは無い(要するに今は違う事をやっている)。そして色々な面で出来もしないような内容を他人にふっかけているような気もする。

思い返すと…そういう時代だったと言えばそれまでかもしれないが…俺を技術屋として育ててくれたと思う方々は…皆さん俺の成長を「待って」下さった方々だった。内心は「こいつ…バカだな…」と思われた事も多かったと思うが、一通りの失敗をする事を許し、待っていてくれた気がするんだよな。

それに対して今の俺はどうだ?待てているか?待とうとしているか?

自分の積み上げてきた技術が急激に陳腐化するのはこの業界全体の定め。何故なら我々は我々が名付けた「ドッグ・イヤー」の世界を生きているのだから。

それを知った上で…それを覚悟した上で「待てる」かどうか…課題だな。

二年は長いか短いか ~故郷を持たぬ者が感じる故郷~

かの震災から2年が過ぎた。震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りしたい。

二年という年月は日立市に住む俺達にとっては十分に長い歳月だった。震災で一度身の回り全てがガタガタになったにせよ…今はもう日常どころか遠い未来の金儲けの話に気を回さなければ会社が生き残れない状態にまで回復している。

…そもそも今回の震災で大して直接的な被害を受けなかった地域が沢山ある。どちらかというとその地域の方々の方が多いだろう。別にそれを妬んでいる訳では無い。

東北を特別視する風潮が多いように感じる。故郷を失った東北、故郷に帰れない東北。聞こえはいい。響きはいい。だけれども…それを言っている方々が今回の震災で直接的な被害を受けていない方々であり、現地を訪れた事の無い方々であり、ぬくぬくな日常を送りつつ文句を垂れているだけな方々だとしたら一言言わせてもらいたい。

お前ら邪魔をするな!と。

前にも言ったが、誰しもがこれからの自分達の街のあり方について悩んでいる。瓦礫の町から真っ平らな平地にまでは戻った。ここから必要なのは街のグランドデザインだろう。

あれこれ口を出したくなるとは思うが…街のグランドデザインが固まるまではちと黙っていて欲しい。街のグランドデザインを固められないから金はあっても復興が進まないという側面も現地にはある。自らが住む町をどうデザインし、どういうリスクと共に生きていくかを第三者が偉そうにあれこれ口出すべきでは無いと感じる。スピードアップの後押しは有りだと思うけれども、二年という歳月を自分の尺度だけであれこれ考えてしまってはいけない気もしている。

亡くなった方々の未来を背負う我々に、出来る事をやろうじゃないか

自らの非を認める事は、そんなに大変な事ですか?

何やら物騒なタイトルではあるんだが、言いたい事の内容的にこれでいいんではないかな?

ここ数年、色々な話を聞くにつけ感じる事がある。昨日までは(昔は)こう言っていた(思っていた)が、気が変わったという事を言い出せない雰囲気というか仕組みというか。

こんな事を考え始めた理由の一つにSNSの普及があるのは確か。届くかどうかは別にしても、リアルタイムに自分の思っている事、感じている事を主張できる基盤は整った。同時に誰もがその主張をさかのぼって参照できるようになっている。

かつてのパソコン通信と同じようにキーボードで打ち込んだ言葉で喧嘩が起きたりするのは仕方無いというか当然の事として…気になるのはその後。

ゼブラーマンじゃないんだから白黒はっきりってな展開にはならないのは分かるんだが、公的機関の発表がある度に「結果を操作した」だの何だのっていう考え方をするのはどうなんだろうか?身近な話では前回の衆議院選での結果が自らの望む結果では無かった途端に「陰謀だ」だのなんだのかんだの。 俺の言葉で言わせてもらえばこうだ。

「要するに、お前ら反省しないからそういう結果になったんだろ?」

お気に入りの同じ意見の方々をSNSで囲い込んで、言うだけ言って具体的には何にもやらず、結果にだけは文句を言う…そんな場面を見掛ける事が最近多い。

結果論としてそういう「村」っぽいやり方は世の中の仕組みには反映されていないので緊急性は無いんだが…潜在的な不安として「自らの非を認める」事を良しとしない方々が多いのでは無いかという事。

俺自身は「自らの非を認める事」に対して何の遠慮も無い生き方をしているつもりだ。その場で罵倒されようが何だろうが自らの非は自らの非。

それの何が怖いんだ?