雨の中わずか数分走ってやってきたのがこちら、日本原子力開発機構のちょうど前にあるこちら「原子力科学館」。何でまた似たような施設がこんなに沢山あるかと言いますと、早い話が運営母体が違うから。こちらの施設の運営母体は茨城原子力協議会になります。
先に書いてしまうと3施設の中で一番「科学館」らしい反面、JCO臨界事故という負の部分の展示があったりもするある意味異色の施設です。
受付で簡単なアンケートに答えた後2階に上ると出迎えてくれるのは科学者のパネル。ま…施設的にどうしたって原子力関連に縁のある方々だけではありますが。
写真で見る限り、アインシュタインが一番頭悪そうだなぁ…なんていう恐ろしい印象を感じたりしつつ、本人の写真の前で舌を出してみたり(笑)
奥のフロアに入ってみると…
どうやら遠く岐阜県飛騨市の神岡にある「スーパーカミオカンデ」展なる催しらしいのだが…解説のパネル2枚に光電子倍増管の展示のみ。何だかショボイ企業の各種展示会の展示みたいな雰囲気が悲しい…(汗)
とは言えこんな所でこいつに出会えるとは思ってもいなかったので、舐め回すようにジロジロ眺めました。
裏側はこんな感じ。うっ…美しい!そう言えばこのガラス部分はどうやって作ってるんだろう?よくガラス細工で「プ~っ」と息で膨らませるやり方だったらビックリだよな。
あぁ分かっているよ…絶対無い…(アホ)
こちらは1Fのメインとなる展示ブース。ちょっとした科学館だぁね。ま、名前に「科学館」と付いているんだから当然と言えば当然なんだが(笑)
こちらは実際の物質を長めながら、ぐるっと回すとその物質の解説が読めるという面白い周期表。もちろん全部の物質の実物が有る訳ではありません。表の下の方に本物があったりしたら大騒ぎになるよね(汗)
アインシュタインの有り難いお言葉を頂けるコーナー(詩的な面と皮肉屋な面と、天才特有の訳の分からない面があって面白いんだよね)を楽しんだりして、ようやく冒頭の写真「世界最大の霧箱(クラウドチャンバー)」と御対面。
ま、飛跡の見え方の解説を読んでもらえばいいんだが一応俺なりの解説などを。そもそも霧箱ってのは何かというと、通常目に見えない放射線を可視化する装置。もの凄い複雑な仕組みかというと実はそんな事は無く、キンキンに冷やしたアルコールの蒸気(エタノール)を箱の中に充満させておくと、ちょっとした刺激でアルコールは気体から液体に戻ります。
そんな訳で、この霧箱の中を放射線が通過すると、飛行機雲のような飛跡が現れるので目で見る事が出来るという仕組み。じつはこの「可視化する」という仕組み自体は最初の方に出てきた「スーパーカミオカンデ」も同じでして、ニュートリノが50000トンというもの凄い量の中を通過する(飛び込んでくるニュートリノの数が少ないので巨大化してます)時に発する僅かな光を「光電子倍増管」で可視化してます。
で、こちらが世界最大の霧箱の様子。これは実際に見てもらうか動画か何かにした方がいいんだろうけれども。
しばらく眺めていたんだが…建物の中という事も有りα線は見えた気がしなかったけれども、β線と宇宙線らしい飛跡は相当な頻度で確認できる。
ここで一つお断りしておきたいのは、この世界はそもそも放射線が飛び交っているんだからあれこれ気にするなという事を押しつけたい訳では無い。宇宙から、地上から、建物から、そしてあなた自身からも放射線が放出されているという単純な事実を御紹介したかっただけの事。
上野の科学博物館の霧箱よりも盛大に飛跡が見えている事に驚かれる方も居るかと思うが…あちらは地下3Fに設置されていて、設置当時は「ここで検出出来るのか?」てな事が心配された位なのでして、ご近所の皆様どうかご心配なさらずに。
霧箱見学の後は、こちらにもあったALOKA製モニタリングポスト&センサ部分のカットモデル。そう言えばこれ位の大きさのセンサを屋根に積んだ1Boxの放射線モニタリングカーをツーリングで何度も見掛けたが、これそのまんま積んでいるんだろうか?
そんなこんなで原子力科学館の本館から別館へ。ふと本館入り口の掲示板を見るとこんな貼り出しが。何々…
「一家に一枚周期表」とな(笑)
別館では1999年9月30日にここ東海村で起きたJCO臨界事故の記録と当時の現場の状況が再現されている。
すでに12年近くが経過している事故なので、その時のあなたの年齢・住んでいた地域によっては知らない内容かもしれない。そんな事もあり、一応俺なりの言葉で簡単に事故の内容を紹介しておきたい。
当時俺は東京・目黒にある半導体設計会社で回路設計をしていた。茨城県鹿嶋市に両親が定年を機に移り住んだとはいうものの、茨城県とはほとんど接点の無い日々を送っていた。
当時JCO東海事業所は上のカットモデルの本物、茨城県大洗町にある高速増殖炉「じょうよう」向けのウラン燃料の製造を行っていた。
各種原子炉の実際の商業運転開始までは段階を踏んで規模を大きくする事になっていて、福井県敦賀市にある原型炉「ふげん」(廃炉作業中)、茨城県大洗町にある実験炉「じょうよう」、福井県敦賀市にある原型炉「もんじゅ」はそれぞれウランだけでは無く、プルトニウムを燃料として利用・生成する事で燃料として使う為の原子炉となっている。要するに発電所ではそもそも無い。
高速増殖炉「じょうよう」は新しいタイプの原子炉ではあるものの、その燃料自体は通常の原子力発電所向けのウラン燃料と大して変わらぬ同じような物だった。規模が小さい原子炉向けの特注品故、東海村の規模の小さい町工場のような場所でウラン燃料が作られていた。
内職的な単純作業をやった事がある方なら分かって頂けるだろうが、同じ事は一気にまとめてやってしまった方が作業効率がいい。そしてJCOの作業員の方も同じように考えた。
「一度にもっと沢山のウラン燃料を作ってしまった方が早い。」そう思い始めた作業員の方々は徐々に社内規定を破りはじめ…1999年9月30日…ついにウランが臨界をむかえる量をバケツの中に入れてしまった。
10Svを越える放射線を浴びた作業員の方2名が放射線の影響で直接的に亡くなり、臨界状態のバケツの臨界を止める為に現場に向かった方々も多量の被爆をした。この事故により、東海村の方々の一部は避難を余儀なくされ、常磐線は付近の運転を見合わせる事態となった。そしてこの時に初めて俺が知った言葉の一つが「風評被害」。この地域特産の干し芋の売り上げがガックリと落ち込んだというニュースをその後目にした。
正直な気持ちを言うのであれば…今となっても亡くなった作業員の方々個人を責める気持ちにはなれない。自らの扱っているものの危険性を自ら調べて理解するのは上昇志向な考えしか持った事のない方にしてみれば当然なのかもしれないが、最後の一線に関する内容についての説明は「くだらない。無駄。」と思ったとしてもなすべき内容ではないのだろうか…
原子力科学館の別館にはJOCの事故の展示だけでは無く、「陽子線治療装置の模型」や「PET診断装置」の模型もあったりする。PET診断はガン検診で相当一般的になってきてるよね。
どちらも恐らく誰も反対する事のない放射線の利用方法だと思うが、ここまで「放射線・放射能」を恐れる風潮になっている今日、若い方々がこの分野(含む原子力発電所の廃炉等々の分野)へ飛び込んでいってくれるのだろうか?それだけが心配だ。
最後にちょっとナーバスな気分になりつつ、これまたバイクで数分の「アトムワールド」へ向かいます。