今回お世話になった「ゲリラキャンプ場」の紹介をしたい所ではあるが…写真が無いので断念(汗)ツイッターへの投稿でμSDカードへ保存されていると思っていたんだが…そうでは無く、投稿後の画像はさすがにブログには使えそうもない状況だったので断念。
そんな訳で小雨混じりだった「山形県舟形町」の川辺の公園は…再度行った時に再撮影予定です(笑)
雨に降られ続ける天候の下、国道47号を山形県から宮城県へ。上の写真は「山形県と宮城県」の県境でして、この国道は別名「奥の細道湯けむりライン」と呼ばれる陸羽東線と平行して走る事の出来る爽快路。
宮城県側へ入るとそこは温泉エリア。GWに一っ風呂頂いた川渡温泉のある、鳴子温泉郷となります。途中「池月」からは国道457号~国道398をハシゴして、栗原市からは国道4号を南下開始。
昨日の夜眺めていてふと気が付いた、ツーリングマップルに載っていた日本三大善光寺の一つ「奥州善光寺」へやってきた。三大ってのは文字通り受け止めてはいけないらしい。携帯で撮った写真をツイッターで送った写真をダウンロードしたので、写真のサイズまでもが小さめだ(汗)
こうなってくると、もう一つはどんなお寺さんなんだ?と気になるのでググった所…埼玉県は川口市にあるらしい。結構近いので行くのは確定なんだが…「3ヶ所巡ったら願い事の叶う確率UP特典有り!」とかやって欲しいなぁ(笑)
この後も国道4号を南下しまして、宮城県大郷町にある「道の駅 大里」でちと休憩。朝飯代わりに「茹でとうもろこし」に噛み付いたりなんかして、幸いな事に被害が少なかったという事を聞いている宮城県の観光名所松島へ向かいます。
松島に着いてバイクを駐めた後は、かなり久々に「がっつり松島観光」開始です。もしかしたら10年ぶりとかなのか?(汗)小島をつなぐ、海の上に掛かる橋を渡りまして…五大堂へ。
部分的に被害は受けているものの、五大堂はご覧の通り無事でした。この一帯、海沿いの低地ではあるものの、地形的にリアス式では無かった事が幸いしているのかも。残念ながら海沿いの半数以上の土産物店等が浸水などの被害を受け休業中ですが、再開を果たしているお店も続々と増えているようですので、遊びにいってもお土産買ったりお昼を食べたりするのに困ったりなんて事は有りませんのでご安心を。
そして五大堂からは「松島島巡り」の大型観光船が「ピュ~っ」という高めの音程の汽笛と共に出港していくのが見えた。松島はもう、普通に来ていい場所だ。
五大堂のあとは瑞巌寺へ向かいます。初めて松島へバイクで来た時以来だから…15年ぶりとかなのかな?
カラーコーンが色んな場所にあるのは被災地故ということでご容赦を。フラットな参道の瑞巌寺、遙か昔からバリアフリーなお寺です。
実はこの瑞巌寺、本堂を「平成の大修理」という足掛け10年の修復工事中でして、予定では平成28年3月まで本堂の見学が出来ません。その代わり、通常公開される事の無かった庫裡(お寺の台所)と大書院、陽徳院御霊屋が特別公開中。
お寺の台所とはいえ、この建物自体が国宝です。国宝の建物に実際に入らせて頂いて、色々と見学しました(撮影禁止の為、写真はありません)。
大書院で公開されていた伊達正宗の位牌がもの凄く大きく、また立派だった事が印象的だったな。それから陽徳院御霊屋も、絢爛豪華な当時の姿をこの目で見る事が出来て良かった。
不勉強で大変申し訳ないんだが、こういった渋い施設?が修復されるのを見るにつけ、味わいが減ったなぁ…等と今までは思っていた。良く考えると…そもそもこの施設が作られた当時の人々にとっては、真新しい漆喰の壁、真新しい金の金具、真新しい瓦。眩しい位に輝いていたこの建物達を眺めていた当時と同じ光景を目に出来るのか。だったら修復したばかりの歴史的建造物に残念な気分を感じる事は間違ってるんだな。
宝物館を見学した後は「かき殻焼き」と「牛タン串焼き」を頂いたりしつつ、バイクで南下を再開で~す。
塩竃市~多賀城市では、未だに畑の上に本来有るべきではない漁船が多数有ります。そして国道6号の東側には、今年の米作りを諦めた田んぼが多数見受けられます。主を失った田んぼなのか、塩害の関係で耕作出来ないのかは自分には正直分かりません。…でも、本来青々とした苗が植えられているべき場所であろう事位は俺にも分かります。
~写真はありません~
南下すること2時間程で、福島県の「道の駅 そうま」へ到着。立ち入り禁止区域の南相馬市まではあと15キロ程。
朝から「茹でとうもろこし」しか食べていないので…「浜塩ラーメン&ほっきコロッケ」を注文。お味を真面目に語る事はしませんが、塩ラーメンとして素直に旨かったです。ほっきコロッケは、ホッキ感たっぷりな具がいいです。何と言っても注文を受けて揚げ始めるので揚げたてです!
この後は、福島原発の立ち入り禁止区域を避ける道選びになる訳なんですが…結果から言いますと、原ノ町から県道12号線&国道399経由の迂回路しか6/26時点では存在しません。それ以外の福島原発近く側への県道は、災害基本法だったり冬季封鎖中だったりで走れません。だったらもっと早くから6号の看板に書いておいて欲しかったな。結局1時間半程、南下するルートを探して南相馬市内を彷徨ったよ…(汗)
そんなこんなで凄まじく大回りな迂回路を駆け抜けて…日立のアパートへ戻ってきたのは20時過ぎ。今回のプチ東北ツーリング、やっぱり常磐線と国道6号が南北に分断されているのは異常な事なんだと改めて気が付いた。
この事はただ祈るべきなのか…それとも貴い経験とすべきなのか…。今の俺にはまだ良く分からない。取り敢えずは走るしかないだろうな。
こちらは今日のGPSログ。避けた訳ではなく…近づく事自体が許されない場所が我々の暮らす国、日本に存在している。その距離を今回身をもって理解した事だけは確かだ。
避難範囲は半径20キロ。人々を引き離している距離は高々40キロだとでも思っているのか?俺達は?