3.11と呼ばれる3月11日について

~メモ。これを元に4月頃記事を書き直しますが~

何でもかんでも省略系で呼ぶ事が嫌い。3.11と呼ぶ事自体が。特に省略すると他人事になるような妄想を抱く略し方は。東電なんて言い方、株屋でしか使っていなかった略語だろ。

作業先の工場にて半旗と工場長から黙祷のお願いの放送。やや涙ぐむ。

年に一度の恒例行事的に東北を思い浮かべるのは仕方無いのではないか?もう4年経ったんだし。そもそも東北がどうなっているかなんて、実際の所観光者レベルの目線で見た事ある人なんて大して多くないんではなかろうか?旅するには狭いらしい日本をまともに巡り続けている奴は旅人と名乗る奴の中には意外と少ない。

常磐道はもう少し。常磐線は長期計画が出来上がってきた。開通区間に行けないのが残念だが、落ち着いたらもちろん行く。

4年間に重みはあるか?亡くなった方、亡くなった方の家族、亡くなった方の親類、亡くなった方の友達…

亡くなった方の大切な存在であった方々に対してしか私は今から出会う事は出来ないsh、実質的に何も出来ない事は思い知るべき。

忘れる事をただ悪い事だとは思えない。

4年の月日は長いだろうか?短いだろうか?長かっただろうか?自分の事として、他人の立場になって考えるとして。

一番嫌なのは自分のスケール感を押しつける奴。

難しい話はどうでもいいよ。4年経ったんだし。

亡くなった方々に祈りを。生きておられる方々(俺も)には明日を。

 

…神様なんて糞くらえだ。使えない神様しかいないだろ。神様だったら地震なんぞ止めてみせろよ。

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