仙台ツーリング ~松島・女川・気仙沼・陸前高田編~

「女川町立病院から女川港」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)

~女川町立病院から~

昨夜の早い時間帯までの予定では今日は丸一日仙台の街中を散歩する予定だったが、昨夜一緒に盛り上がったK氏の提案を受けて予定が変更となった。

K氏の住まいは調布とのことで、地震当日は都内のビルの中で作業をしていてその揺れにはびっくりしたそうだ。今回はるばる仙台にまでやって来たのは、一体何が起きたのかを自分自身で確かめる為との事だった。仕事上、とある電送装置関連の動作状況を日々モニタリングする必要が有るそうなのだが、東北の太平洋沿岸部で未だに復旧しない理由を自分の目で確かめたいとの事。

そう言う事なら話は早い。仙台市内散策は次回と言う事にして、今日は一緒にバイクで廻りますか。俺自身も全部を見て全部を理解している訳では無いし。

梅鉢で朝食の無料パン&イギリス土産の紅茶「ダージリン」を頂いて(普通のダージリンより何故かやたらと香り高し。さすがは大英帝国!)朝8時ちょい前に、仙台市内から国道45号経由で北上開始。

多賀城市内を抜け、以前よりは相当に片付けられた塩竃市の沿岸部を通ってまずは松島へ。K氏は松島に来る事自体が初めてとの事で、おきまりではあるが五大堂へ。今日は文句なしの青空で海も穏やか。昨日の夜飲んでいた時に話題となった「松島は小さな島々が自然の堤防となって大きな被害からは免れた」地形だと言う事が、五大堂から海を眺めると良く分かる。

瑞巌寺にも立ち寄りたいところではあったが、今回は見たい場所の意味合いが異なると言う事でさらに北上開始。K氏曰く「また来りゃいいか…」ですか。これはK氏と俺は気が合いそうですな(笑)

松島から離れ、石巻に近づくにつれ海岸線沿いの状況は酷くなってくる。道中K氏が未だに電送装置の動作が復旧しない場所として気に掛けていた場所にたどり着いた。

「こういう事か…」とつぶやくK氏。

石巻の沿岸部は大きく地盤沈下してしまっている部分が多々あり、未舗装の道路が大きな水たまりに突っ込んでしまっていて通れない場所も多い。

津波の影響が今も色濃く残る市内から、K氏が以前TVのニュースで見たという石巻市街を一望できる日和山公園へとやってきた。なるほど…こんな場所があったとは知らなかった。山の頂上には神社があって、石巻市街地中心部方面と日和大橋方面をそれぞれ見渡せる展望スポットがある。

日和大橋の見える展望スポットではボランティアの方々が解説をしている。海岸線に位置する日和大橋そのものは無事で、石巻バイパスとして自動車が往来している。仙台とここ石巻には相当昔の話になるが、日和大橋がまだ有料道路だった(一番高い真ん中に料金所があった)頃、三脚を担いで歩いて渡った事がある。あの時は橋から市内を眺めていたら、料金所のおじさんに「ここまで歩いてくるのは珍しいよアンタ!」的な事を言われたっけなぁ(笑)

今日の展望スポットから見える光景に、未だにゴジラを放映していそうな古い映画館や海沿いに広がっているひなびた街並みの姿はもう無い。今見える光景とかつての光景のあいだを、ボランティアの方々が解説で埋めていた。そして、一目でそれと分かる特徴的な石ノ森萬画館側では、中州の整備を行っている重機の音だけが響いている。

我々二人が少し重い足取りで日和山公園を後にする頃には、お彼岸と言うこともあって大勢の方々が公園へ登ってきているところだった。

この後は内陸を行く国道45号から海沿いを抜けていく国道398号に乗り換えて、気仙沼目指して女川方面へ。途中、国道とJR石巻線が平行して走る区間があるが、線路上に物があったり夏場に伸びた草が生えっぱなしだったりとまだまだ先は長そうだ。

大きく上下左右に曲がりながらリアス式の海岸線を縫って行く国道を走り、女川港を擁する女川市街地へ到達。

海間際にまで迫る山の切れ間に大きな谷間と平野が広がり、その平野に人々の生活の場が存在している。ここから先、気仙沼を経て岩手県を通り、遠く青森県に至る太平洋岸にはこういう立地条件の集落が点在し、そのほとんど全ての地域で大きな被害を受けている。
今回、止まりたいところがあったら遠慮無く止まって欲しいと言う事もあってK氏には前を走ってもらっていた。そして一緒に向かった先は国道沿いの高台に建っている女川町立病院。この病院の駐車場にも、お彼岸と言う事で女川の街を見つめる人々が何人もいた。
ほぼすべての物が失われてしまった街を見つめる我々二人に、初老の方が声を掛けてきた。女川に住んでおられたそうで、今日はお彼岸ではるばる九州からやってきたお姉さんを案内してここへ来たそうだ。

ここ女川町立病院は16メートルの高台に建つ病院であるが、この高台を越えて津波がやってきたそうだ。1階部分は完全に海水に浸かったそうだ。確かに言われてみると、駐車場の柵が根こそぎ根元の所から無くなってしまっている。そして、何とか建っている鉄筋コンクリート製の建物に混じって、形は残っているが明らかにおかしな向きを向いてしまっている鉄筋コンクリート製の建物が二棟。この建物に関しては、建築の研究の意味合いも含めて町で保存することが決まったそうだ。津波が満ちてきた時の力だけでなく引き波の強さも凄まじかったそうで、目の前に広がる女川港沖の海底が見える程だったとの事。

コンクリートの建造物において、基礎部分のパイルと建物が分離してしまった例は過去にほとんど無かったらしい。俺の父が今でも生きていたら、きっと一言二言あったに違いない。俺の父はパイルの強度設計屋だった。

そして初老の方との会話の中で、K氏が昨日の酒の席でも何度も気にしていた事をついに切り出した。個人的には既に結論の出ている事なので、俺は黙って聞いていた。

内容は「被災地によそから人がやって来て、それを見て帰っていくのをどう思うか?」と言う事だった。帰ってきた答えはこうだった。「見てもらって、写真もとってもらって、家に帰って女川の事を伝えてくれたらそれでえぇ。」

正直言って見る側も見られる側も楽しい経験では無いのは確かだと思うが、常日頃楽しい事を優先的に追求しがちな我々において、実際に起きている現実を見つめる事は悪い事では無いと思うな。

そんな訳で初老の方の意を汲んで、この時目にしていた光景を冒頭の写真で御紹介。見事に晴れ渡った青空と、その下に広がる光景のコントラストが激しすぎる。これが今の女川の街並みだ。はっきり言ってこの町立病院以外に今は何も無い。だけれどもこの地に来る価値が無いとは俺は思わない。

この後は仮設の道路を更に北へ進んでいこうとしたんだが、女川を抜けるとすぐに通行止めになるとの予告が。海岸線沿いの地域は今も幅広い場所で復旧工事が行われている関係で広域情報が追いついておらず、どの道が通れてどの道が通れないのかは行ってみないと分からなかったりするのがちと辛いところではある。

国道398号が通れないとなると…石巻まで戻るしかないですな。そんな訳で通ってきた道を逆方向にひたすら走ります。

渋滞気味の石巻を抜け、国道45号で気仙沼を目指します。途中国道45号も通行止めでして昨日登米市から仙台に向かう時にも迂回用に走った三陸自動車道で通行止め区間をやり過ごし、田んぼの中の快適な道路をひたすらガ~っと走って気仙沼近郊へ到着。昨日の夜の盛り上がりと引き替えに失った睡眠時間の影響がジャブのように効いてきた頃、気仙沼帆布のお店GANBAARE「ギャラリー 縁」に到着。

今回お世話になっている「ゲストハウス梅鉢」の旦那さんが気仙沼出身という話だったので、夏休みにこちらで買った気仙沼の名前入りの袋(現在、ツーリングの工具袋として活躍中)を昨日の飲みの席で自慢したのであった。案の定K氏が喰い付いてきて「これはいいっ!明日買いに行ってきます!」との事でニンマリしていた訳だ。ただまぁ、まさか自分も一緒にここまでやってくるとは思っていなかったけどね(笑)

「恋も二度目なら~♪」的なノリの二度目の訪問なので、前回とは違ってセブンイレブンを目印に迷うことなく一発到着!(事前に地図を確認していれば分かりやすい場所にありますのでご安心を…)

お土産なのか何なのか、何だかんだで5個ほどお買い上げのK氏。どうやら会社に地名入りのバッグ?を集めている方がいるらしく、「これ見せたら、あいつ絶対買いに来ると思うよ!」との事だった。はは~ん…見せるだけなんだ(笑)

まぁ撒き餌としては、実物見せつけるのが最高な訳でして(悪)

この後は、俺が先頭になって昼飯求めて気仙沼の市街地へ。

運航再開しているフェリー乗り場付近には食事が出来るお店があるんではないかと踏んではいたが、K氏のツーリングの今回の意向を考えて、まずは南気仙沼の突端まで行ってみた。この一帯には漁業におけるバックヤードに相当する施設が大規模に集積されていたが、今回の津波被害により文字通り壊滅的な被害を受けてしまった。

大きな倉庫を支える太い鉄骨は歪み、小さな作業場は今はもうこの地には存在しない。今までの日常全てが無くなってしまっている。

走れる数少ない道を戻りながら魚市場の横を通りかかったが、1階の観光魚市場の営業再開はまだ先になりそうだった。以前朝ご飯を食べた「斉吉魚問屋」は秘伝のサンマのタレの救出に成功したり、通販の再開を果たしたりで少しづつ前進している事を時折耳にしている。

更にフェリー乗り場に近づいて、気仙沼お魚いちばにバイクを置いてフェリー乗り場の方まで歩いてみた。フェリー乗り場の近くには、かつてのチリ地震津波を示す標識があった。海面から3メートルの津波を今日も伝えている。

「気仙沼 チリ地震津波のプレート 海面から3.0m」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)

このように被害の大きかった気仙沼ではあるが、フェリーの運行は再開され…徐々に人を迎える場所の営業が再開されているのも確か。

そんな営業再開を果たしているお店「港町レストラン 鮮」で、かなり遅めのお昼にありついた。

【宮城県気仙沼市】 港町レストラン 鮮 「日替わり定食」  【宮城県気仙沼市】 港町レストラン 鮮 店構え

今日の日替わり定食は、刺身と鱈の粕漬け他。 いやぁ…旨かったよ!刺身だけでなく、好き嫌いのある子供連れでも色々選べるメニューだったので、これなら家族旅行でも大丈夫。

さすがに疲れの見えてきたK氏と、これからの行き先についてちと打ち合わせ。K氏は今晩、岩手県盛岡市のホテルに宿泊予定。俺は俺で宮城県の仙台市に戻らねばならない。お互い地図を眺めながら考える…そうだなぁ…陸前高田まで一緒に北上して、その後東北道へ向かって途中でお別れしますか。

「陸前高田 一本松」 (G1 M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6)

気仙沼からまたしばらく走り、夕日が沈む間際の陸前高田市にやって来た。写真は色々な呼ばれ方をしているが…希望の一本松。でもっぱり…一本だけ残ってしまっていて寂しそうだ。この松と一緒に写真に収まる事は無さそうだが、陸の側には松の木の根っこの部分が数え切れない程山積みにされている。

陸前高田市の平野は広く、それ故に被害を受けている範囲も広い。色々な事を考えながら夕日に沈む街を後にしたのが17時過ぎ。それからきっかり1時間半かけて、東北道の水沢ICへ。丸1日ご一緒させて頂いたK氏ともここでお別れ。

お互い慣れないメールアドレス交換などをして、いざ仙台へ。どうやらここから120キロ程あるらしいね。ちょっと遠くまで来すぎたかも。

【宮城県仙台市】 梅鉢 「焼きサンマとサンマ刺し」

夜9時ちょい前に何とか梅鉢さんまで帰り着き、焼きサンマ&サンマ刺しで晩酌開始。どちらも300円と言う事で相当お値打ちです。

昼間のツーリングの余韻に浸っていたら、国分寺からやって来たバイク乗りの方がやって来て、またしてもプチ宴会開始。普段はキャンプ主体でツーリングをされているそうでして、お互いノリが雨が降った日に避難してきたライダーハウスの夜ですな(笑)

そうこうしていると、市民運動に参加してきた学校の先生ご一行様が到着。朝頂いた紅茶の送り主の方もイギリスで学校の先生をされていたという事でして、消灯時間を少々過ぎたけど色々とお話させて頂いたのでありました。

今日のGPSログはこちら。距離というよりその光景に少し疲れたな。この記事書く時も正直疲れたよ。

2011_09_24_ルート

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