尾角光美さんの講演会「かなしみからあしたへ」を拝聴 ~母の日の由来~

国井律子のツーリングエッセイでいきなり現実へ引き戻され、善光寺で行われた百ヶ日法要で精神的に相当いじくり回された俺。当初行こうかどうしようか迷っていた講演会。どうしよう…正直辛すぎるんだが…でもなぁ…行きますか。善光寺本堂の向かって左手にある「善光寺大勧進」が講演会の会場で、畳の大広間であぐらを組んで待つ事少々で、尾角光美さんの講演会が始まりました。

~1時間程の講演~

俺は技術屋なので、この講演会のように目の前に演者のいる講演自体はもちろん何度も聞いた事がある。聞いた講演を要約し、多少尾ひれをつけたりしながら他人へ伝えるのは聞いた者達の当然の務め。何故ならそれ無しでは貴重な経験が伝わっていかないのだから。

…だがしかし…今回の講演会の内容、尾角光美さんの言葉を誰かに向けて再度語れる自信が俺には全く無い。話を聞きながら自分自身が泣いていたからではなく…話の内容が理解出来なかった訳でもないんだよ。

「講演会の内容が、あまりにも俺自身に響きすぎたから」

人として生きていく上で避ける事の出来ない命について…人として生きていく上で避ける事の出来ない感情について。時に自らの感情を押し殺し、時にその感情の端っこを見せてしまったりしながら進んで行く講演を語る事なんて俺には出来はしないさ。

(注)書いた本人は何となく格好つけた気分になってるが…こんな文章を読んでも講演の追体験には全くならないので悪しからず。

「この先は正式HPでっ!」とかやってしまうと、全く講演会を紹介できていない結果になるのでちと考える。。。

おっ!そうだよ。機会があったら広めてくれと仰っていた話があるではないか。助け船に乗らせてもらうよ。
「母の日の由来」について

みんな母の日って知ってるかな?自分の母にカーネーションを贈ってみたり、ちょっと照れながらお礼の言葉や手紙を渡したりする日の事だぁね。何を贈ったとしても贈りそこなったとしても…それはきっと素敵な一日に違いないだろう。母の日ってのはそういう一日。我々人間は誰しもが必ず「母」から生まれ、今日を迎えている。

…理由は様々数有れど…母と別れなければならなくなった人々の中には「母の日」が嫌いな人もいる。渡したいカーネーションを受け取ってくれる母はなく、そもそも想い出の中にいるのかどうかすら良く分からない。受け取って欲しい人へはもはや届かない…ただただ悲しい一日だ。
…そんな悲喜交々の「母の日」。出来たきっかけを知ってるかい?

米国の小さな田舎町。大切な自分の母を無くした子が、白いカーネーションを渡しながら我が母への感謝を綴ったのが由来だそうな。そして月日は流れ…我が国日本へと母の日はやってきたのであった。

もはや届かない母へ宛てたメッセージ。それこそが「母の日」の本当の意味。

あなたが届けられないと思っているものは、あなただからこそ届けられるものなのかもしれないよ?

素敵な講演会を有難うございました!

NPO法人「Live on (リヴオン)」代表の尾角光美さんの講演にて

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