自らの非を認める事は、そんなに大変な事ですか?

何やら物騒なタイトルではあるんだが、言いたい事の内容的にこれでいいんではないかな?

ここ数年、色々な話を聞くにつけ感じる事がある。昨日までは(昔は)こう言っていた(思っていた)が、気が変わったという事を言い出せない雰囲気というか仕組みというか。

こんな事を考え始めた理由の一つにSNSの普及があるのは確か。届くかどうかは別にしても、リアルタイムに自分の思っている事、感じている事を主張できる基盤は整った。同時に誰もがその主張をさかのぼって参照できるようになっている。

かつてのパソコン通信と同じようにキーボードで打ち込んだ言葉で喧嘩が起きたりするのは仕方無いというか当然の事として…気になるのはその後。

ゼブラーマンじゃないんだから白黒はっきりってな展開にはならないのは分かるんだが、公的機関の発表がある度に「結果を操作した」だの何だのっていう考え方をするのはどうなんだろうか?身近な話では前回の衆議院選での結果が自らの望む結果では無かった途端に「陰謀だ」だのなんだのかんだの。 俺の言葉で言わせてもらえばこうだ。

「要するに、お前ら反省しないからそういう結果になったんだろ?」

お気に入りの同じ意見の方々をSNSで囲い込んで、言うだけ言って具体的には何にもやらず、結果にだけは文句を言う…そんな場面を見掛ける事が最近多い。

結果論としてそういう「村」っぽいやり方は世の中の仕組みには反映されていないので緊急性は無いんだが…潜在的な不安として「自らの非を認める」事を良しとしない方々が多いのでは無いかという事。

俺自身は「自らの非を認める事」に対して何の遠慮も無い生き方をしているつもりだ。その場で罵倒されようが何だろうが自らの非は自らの非。

それの何が怖いんだ?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。