高村智恵子の「棄権」

週末のツーリングの帰り道、二本松市で「智恵子の生家」と「智恵子記念館」を見学してきた。その時の様子をまとめたツーリング記事がまだ出来ていないのだが…時事ネタ的にぴったりな内容な気がするのでこちらを先に書いてしまいます。

智恵子記念館には智恵子が病室で作った沢山の「紙絵」を中心に展示されていたのだが、作品の合間に飾られた雑誌の記事?の一つが特に印象に残ったので御紹介。1924年「女性」5月号に載った智恵子の一編。

 

「棄権」

もしあったら、リンカーンのような政治家を選びましょう。日本にだって一人ぐらい、正しい事のために利害なんかを度外に置いて、大地にしっかりと誠実な根をもちまっすぐに光に向って、その力一ぱいの生活をする喬木のような政治家があってもいいだろうと思います。そういう政治家なら有頂天になって投票することでしょうとおもいます。しかしうまくその時までに、私たちがほんとに尊敬し信ずることの出来る政治家が出てくれなければ、棄権するほかないかとおもわれます。情実や術数の巣のような政党なんかてんでだめですね。

 智恵子

実は今まで俺の中での智恵子という存在はあくまでも「智恵子抄」に出てくる智恵子であって、何となくか弱く繊細な方というイメージだったのだが…なかなかどうしてイメージとは真逆の手厳しいお言葉である。どうやら実際に気の強い女性だったそうで、家族の反対を押し切って画家を目指すという芯の強い女性だったそうな。

智恵子の意外な一面を知った事でこの一編が目にとまった僅か二日後の今日、国会では消費増税関連法案を巡ってのカオス模様。民主党議員の造反ばかりがやたらと騒がれているが、良く考えればそもそも自民・公明が賛成したから可決された訳であって何が何やらもはや良く分からない。

今回の採決の一件では「棄権」も造反として数えられているんだろうと思うが、棄権された議員の方々の本当の理由は何だったんだろう?リンカーンのような法案でなかったから?それとも情実や術数による駆け引きは嫌だったから?それとも情実や術数による駆け引きだからこそ棄権したとか?

まぁ智恵子が今回の国会の様子を見ていて再び文章を書いたとしたら…最後の〆だけは同じ文章になりそうだ。

てんでだめですね。 (智恵子)

 

これ書き終わってふと思ったんだが…有名な人の言葉を引用してあれこれくっつけて記事作ると、適当な内容でも何となくそれっぽい出来上がりになるから楽でいいな。「他人のふんどしで相撲をとる」を地で行く展開だ(爆)

これからはこの書き方で行くかぁ?(俺)